時間が経過しても色褪せない、残り続ける記憶。
画像・映像の保存で、出来事を思い出し易いことを勘定しても、中でも強く感動したシーンは良く覚えています。
過去を思い返すと、釣果までの過程も含めて、印象に残るのが必ずしも大物とは限りません。
でも嬉しさを強く感じるのは、小より大。これは確か。
成果として。
・達成感、満足感
レコードサイズとの遭遇、目標のクリアなど。
過去最大魚ともなれば、何処の河川のどんな状況でも嬉しい。
それと自身の設定があり、長年追い掛けるものもあるし、「今月」とか、「今シーズン」とか、期間を絞るもの、あるいは「この河川で」「この地域で」「このポイントで」なども。
何かを突破したら。魚を取り込んだ瞬間、吠えます(笑)。身震いする、笑い出すなど、体が勝手に反応してしまう。
そして求めていた魚に出会えたことで、暖かい安堵感があります。
過程として。
・緊張と焦り、興奮
魚が掛かってから獲るまでに、「ヤバい!」場面があります。
荒瀬に紛れ込まれる、川の中で転倒する、竿が伸される・・こんな時は大抵、魚がデカい。
何とか体勢を立て直し、再度ヤリトリが始まると、もう心臓はバクバク、膝はガクガクして、みっともない位に緊張してる自分が居ます。
ヤバくなるのは、こちらが不利な体勢だけでもなく、単に相手がデカくて、パワーとスピードに驚かされてる時もそう。
想定の範囲外の出来事に焦らされ。「焦るな、落ち着け・・!」と私は呪文を唱えます(笑)。
相手が強く、速く、重い。そんな魚が掛かった際はアドレナリン出まくりの興奮状態。
・意外な驚き
「まさかこんな時期にこの場所で!」「こんな釣り方で!」「しかも連発!」
目から鱗と言いますが、自分の予想しなかった出来事と出会う時。あるいは「もしかして」で試したことが当たった時。
自然の成すことには例外が常にあって、自分の思い込みが破られると、新鮮な発見が出来た感覚になります。
・厳しい時の焦れ
良いポイントに見えるのに全然反応がない、魚を掛けてもバラしてしまう・・そんな日、そんな時間帯に当たることは多々。
「何故だ???」と散々考えて、思いつく限りに手を打っても、釣れない。これはメンタルに来ます。この状況が続くと尚更。
そんな時に、渓からのご褒美なのか何なのか、ドカン!と良型が出た時の喜びはもう、言葉に出来ないほど。
時期的なものとか、あるいは魚が非常に薄い河川とか、色んなシチュエーションがあり、その厳しさをクリア出来た嬉しさ。
心折れたら、そこで終わってしまいます。諦めないのは大事ですね。
・プラスα
私は渓流釣りの最中にも、採集物を探しています。河原にほど近いところに、山菜やキノコの群生地が見付かったりすると、それはもう、嬉しい。好物の種や、レアものだったら、「うぉ!!」って声が出るほど。
私は元々水と景色の美しさに惚れて山渓に入ってますので、素晴らしい渓相や透明度高き水色に出会うと、喜びが嵩増しされます。
仲間と釣りに出るのも、単独の時にはない楽しみがあります。釣れたバラしたと笑い、釣りを語り合うのは良いもの。
私は親子で釣りに行くことがありますが、私が釣らなくても、息子(現在高3)が良い釣果を出せば、自分のこと以上に嬉しい。
↑息子が釣った魚
良い条件の時にバンバン釣れれば、それは楽しい。ですがその時は一尾一尾の印象が薄れがちです。
良型が連発するなんてことが稀に起きて、そんな日は「よく釣れた日」として覚えています。
「めちゃくちゃ沢山釣れて、凄く良い魚も獲れた」となれば最高ですね。・・私には中々無いですけど(笑)、滅多に無いから、それを起こしたい。
時間と労力を費やした度合いが、良い結果が出た時の喜びの大きさと比例するんですね。
相手が手強いほどに、獲り損なう失敗も付き物で、悔しい目を何度も見ました。
魚を釣り上げることで、自身の釣りが一段階進歩した、そんな手応えが得られることもあります。
知らなかったことが分かり、出来なかったことが出来た。そんな向上実感できる釣りシーンで出会えた魚は忘れられません。
苦労するほどに、それに意外であるほどに、その釣果と釣行は深く記憶に刻まれる。
良い意味でレアな出来事を体験できると、凄く嬉しい。なるべくなら、焦らされるのは勘弁願いたいですが(笑)。
何度思い出しても、その情景が鮮やかに蘇る、そんな釣りが理想です。