百聞は一見に如かず
これは多くは正しいですね。私の趣味のアウトドアなんかは、まさに。
「見る」の意味として、「体験する」を含めてだと思うのですよね。
実際の体験でも、知識や経験が不十分だと、「勘違い」や「思い込み」、「固定観念」の元になり得ます。
百回聞くより実際に一回見た方が良い、としても、一回見ただけでどこまで分かる?ってところかなと。
ここはアウトドアブログですので、タイトル通り、渓流釣りと採集で話を進めます。
「渓流釣りをやったことがある」「キノコを採ったことがある」
一回、一尾では、分かることはかなり限定的です。
では何回やればと言っても、それは個々に求める成果の程度によるでしょう。どこまで分かれば良いとかは、特に無いですね。
一を聞いて十を知る、頭の回転の早い人は、少ない経験数でも多くのことが分かるかも?
私が気を付けたいのは、自然の為すことは、そう簡単に「これだ」と結論は出せない、ってことです。
何百回見ても、例外事象は必ずありますしね。「想定の範囲外」と言われるように、過去データを積み重ねても、人間の考えたようには自然は動いてないです。
釣りや採集では、経験するうちに「傾向」は見付かってきます。
完全な結論にはならなくても、その不完全さを知ることもまた大事じゃないかと。
ネット情報やテレビ、雑誌、直接の知人や、ショップ店員からとか、情報源はいっぱいあります。
取った情報が情報のままでは、実際にはさして変化がありません。アウトドアは頭と体を使って楽しむものですから、情報を持って、フィールドに出てからが実質の始まりです。
情報を取る→自分で考える→行動する→結果を新たな情報にする→繰り返し。このサイクルを回すことを学習と言います。
学習するのは、成長し、より良い結果を求め、良くない結果を遠ざけるため。
「百聞は一見に如かず」には続きがあります。
百聞は一見にしかず(聞くだけでなく実際に見る)
百見は一考にしかず(見るだけでなく考える)
百考は一行にしかず(考えるだけでなく実行する)
百行は一果にしかず(行動だけでなく結果を出す)
百果は一皇にしかず
学習サイクルはこれですね。最後の一文は「百の成果より、一つの他者への幸せの供与」らしくて、ちょっと意味がデカくてアレですけど・・。
角度を変えて、こんな言葉も。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ
愚者は自分で失敗して初めて失敗の原因に気付き、その後同じ失敗を繰り返さないようになるが、賢者は過去の他人の失敗から学び同じ失敗をしないようにする。
・・・だそう。
これで言うと私は愚者です(笑)。
「1+1=3」の可能性に挑戦する。と言うのは、ウルトラ愚者かもしれない。
でも、ことアウトドアでは、一般に言われるセオリーを外してオリジナルが作れたら、それは強い武器になり得ます。ただし成功しなかった場合は、ウルトラ何とかになるリスクがありますけど(笑)。
一般的セオリーが受け入れられるのは、それで成功体験をする人が多いか、失敗体験をする人が少ないか。それは学んで損は無く、基礎知識は修めた方が良い。
ですがそのままでは、良くも悪くも成果は平均的(もしくは平均以下)。その上を行くには、他者と違うことに挑戦しないといけません。
つまり他者の踏んだ歴史と違う道を行く、ということ。それで失敗するなら、反省して再挑戦するのみ。
諦めずに繰り返していると、そのうち良い事が起きたりしますからね。
私は不器用ながら、山渓遊びには情熱を掛けてきて、カメのごとくユックリ進んできました。
渓流釣りでは、流れている川で泳ぐ魚が相手。
ハリに掛かった魚がどう泳ぐかを察知して、素早くこちらが動かないと、大きな魚に先手を取られたら厳しくなります。
咄嗟に「考えなくても体が動く」まで行くと、成功率は上がっていきます。これは見聞きしたり考えたりでは足りず、何度も成功失敗を繰り返して身に着くものです。
私はそれでも失敗しますから、やはり愚者(笑)。
採集では、ややオカルトな表現ですが「空気感」とか「雰囲気」を見ることは大事だと思ってます。
木々の生え方、山の斜面の角度、陽当たり加減など、定型がなく、人のモノサシでの良い悪いの基準が無い。当てられれば良い結果になるし、外せばキツい。
何年も掛けて色々な状況を見て、比較から分かる事が多々。
失敗をすることも経験で、そこから学べることは沢山あります。それが悔しいと感じるほどに。
これも「百聞は一見に如かず」。
経験に勝る学び無し、だと想っています。
もう一つ、私の好きな吉田松陰の名言。
夢なき者に理想なし、
理想なき者に計画なし、
計画なき者に実行なし、
実行なき者に成功なし。
故に、夢なき者に成功なし。
夢があるから、学び、行動するのですね。