ウチの息子(高3)と娘(中3)の会話
娘「ディズニー良いよね、夢の国だよね」
息子「金払って夢見せて貰うんだよね」
ド正論(笑)。
テーマパークは楽しいですけど、山渓の趣味の楽しさとは、種類が違うと思っています。勿論、悪口ではないですよ。
お金を支払う遊びは、楽しみも安心安全も含めて、その保証に事業者が一定の責任を負います。お金で体験を購入出来、同時に責任の所在が移動するのですね。そこにはルール設定がされ、時間や内容に制約が付きます。
山渓遊びは基本的に自己責任で、自由度が高いです。
経験を積めば知識と技術で、如何様にも楽しめる。その代わり、面倒や危険も自分で処理するのと、楽しみがそこで得られるかどうかは保証されません。
自由の反対語が責任で、これはワンセット。好きに過ごすには責任が伴います。
山渓遊びの楽しさは、お金では買えません。
自分で工夫するのが面白いと感じる人がハマる。体験を自分で作るとも言えます。
グランピングのように楽しみを準備される遊びは、アウトドアに似ていてもテーマパークに近いかもしれません。
「おかげ」と「せい」という言葉がありますね。
他者様の助けで上手くいくこと、何かが邪魔して上手くいかないこともあるでしょう。
「おかげ」はそれ自体がポジティブなことで、感謝の意を表すくらいで十分ですが、「せい」は曲者ですね。
釣りで思うように釣れない時、自分のせいなのか、相手の魚を含めた自然条件のせいなのか、迷ったとして、大抵は前者。選択も行動も、主体は基本的に自分です。
主体は、自分の考えによって取るべき行動を選択するだけでなく、自らの行動がもたらす結果にも責任を負う、という意味を持っています。
山渓遊びに限らず、他責と自責を間違えないほうが良いと思うのです。
会社が、上司が、政治が、経済が、等々、何かを責めることはあるわけですが、ついつい他責にしてしまうのは、その方が楽だから、もあるかも?
釣れない釣りで魚や河川を悪者にしても、自分は楽しくなりませんね。趣味と他の事を一緒にするわけじゃないですが。
考え方として、「主語は何か」の問いは大事かなと。「責任の所在は」と言い換えてもいいです。
何かのせいの時、主語が自分なら、自分で考えますね。誰かや何かのせいだったら、どうでしょう。
何かがダメだとして、それで感じるストレスは、その何かでなく自分のものです。何とかしたいなら、それでどうするかは自分の課題。
山渓ではこうしたことがほぼ自己完結するので、分かり易いのです。
アミューズメント施設では、こうしたストレスを排除し、楽しみを最大化するように責任者側が努力されています。
アウトドアは結果がどうなるかの保証がなく、不確定な事柄に挑むから、クリアする喜びがある。
他者が努力して楽しませてくれるもの(受動)と、自分が努力して楽しむもの(能動)の違い、ですね。
山渓遊びの内容向上の努力をするのは、自分が楽しんで幸せになりたいから。
その主語は自分自身で、責任の所在もまた自分自身ですね。