良い渓魚を釣り上げた時。
それは渓流釣り人として至福の瞬間です。
嬉しい・楽しい・面白い等のポジティブな感覚を釣りに覚える時、「感謝の気持ち」が沸きます。
私だと渓魚を釣り上げた際に、まずはその魚に対し「ありがとう!」と。
そのまま「よく出てくれた」「良い魚だ」等々、河原に座り込んで、魚に話しかけたりして。気持ち悪いかな?(笑 後日のブログでも、「ありがとう」「感謝」と私は書いておりますが、あれは本当にそう思ってるのです。
魚を育む河川、周辺の自然環境にも。
その日その時に、その場所に居られたこと。これは釣りのタイミングが計れたとも言えますし、その前に送り出してくれた家族、小遣いを稼がせてくれた仕事、山渓を歩ける健康な体などがあってこそ。
今まで積み重ねた自身の釣りの努力、学びを頂けた友人や先輩、種々の情報。
その時の一番の感情の向き先は「良い渓魚が釣れて嬉しい」と言う結果ですが、そのことがある意味謙虚で、温かく安らかな心持をもたらせてくれるのは確かですね。
一期一会の渓魚との出会いを成すのに、それまでの本当に多くの要素があって、それら全てに感謝したくなる。下げた頭が上げられないような、そんな気持ちを抱くときは、心に余裕があり安定してるようで、これを「安寧」と表すのかと思うのですが、私は幸せを感じます。
幸せを創造できること、これが趣味の良さ。同時にストレスレベルも下げられます。
また経験上こうした時は、接した他者にも好影響ではないかと。
ちょっと悪い話、極端な例で「いつも文句ばかり言う人」って居ますよね。イライラしてるとか、思い通りにならない不満・不安に包まれてるのかも。
そんな人に出会うと、あまり良い気持ちはしません。が、一番ストレスを感じてるのは、文句を言う本人です。見聞きするものの気に入らない事ばかりに意識が向いてたら、キツイのではないですかね。これはおそらく、心の安寧とは逆の状態。
釣り人は期待のように釣れない時、ついつい文句や愚痴が出ます。私も(笑)。
天候が、水温が、他の釣り人が・・って、こんな時は「主語が自分以外の他者」になっていることが多い。勿論、自身の釣り技術の足らなさや、選択の拙さを呪う事もあります。
ところがそこを越えて好釣果に出会うと、意識的な変化が起こる。
人によって釣りのモチベーションは様々で、その差異を生むのは、楽しみ方と最終的な目的意識、ではないかな。何が起きた時に感動し、感謝の気持ちを得るのかは、個々に違うかもしれません。
私の場合は一番は渓魚との出会いでも、美しい山渓の景色や、多種ある好奇心の対象物に出会えた時にも心は動きます。趣味の釣りの一日の、喜びを嵩上げするようなと申しますか。
帰路、「今日も楽しかった、来て良かった」そう感じられる釣行は、意識が薄れかけていた周囲への感謝を今一度思い起こさせてくれる、そんな気がしています。