釣れた魚にお礼。
主に取り込んだ時と、リリースする時に、私は言います。絶対に毎回、まではしないかも?
中々釣れない厳しい日に、更にはそれが綺麗な良型なら、まず必ずですね。魚に感謝するのは大事じゃないかな、と個人的には思ってます。
私は渓流に入る時「よろしくお願いします」と挨拶し、釣りが終わったら「ありがとうございました」と一礼します。
これは私は、1日の仕事の始まりと終わりにも同じで、声に出して礼。お辞儀の角度までは気にしてないですけどね。
若い頃、仕事関係で受講したセミナーがあり、そこで習いました。事の始まりと終わりに声出して礼をすると、自分の中でスイッチが切り替わる、と。特に朝は、シッカリ声にすると、効くような?
やや古い感覚(オカルト?)な気がしなくもなく、しかし確かに有効に感じるので、私は継続してます。気持ちの問題ですね。
話を戻して、魚への礼。
釣り人は出会えた魚に感動をします。どの魚にも同じ感覚かと言えば、そうではなく。釣りを通し、好きな魚との出会いが叶った時。
釣れてくれた魚には勿論、周囲の自然、今までの出来事、はたまた家族や友人にも、その出会いまでに起きた事柄に「ありがとう」の気持ちが湧いてきます。釣りをしない人には、大袈裟に思われるかもですけど。
私の場合はアマゴやイワナ、渓流魚を狙って釣りをしており、それが手強い大型魚だとか、見惚れる野生の迫力を纏っているとか、そうしたレア度が高い出会いになるほどに、感謝の気持ちが大きくなります。
出会いまでの苦労が多く、時間が掛かるほどに、達成感が得られる。これはおそらく感謝の気持ちの深さと比例関係です。思い入れが深くなるほどに、出会えた際には「(ほぼ無意識に)ありがとう」と声に出ている。
渓魚狙いの最中に、コイ科などの他魚が釣れることはままあるのですが、申し訳ないことに私は、そこに素直にありがとうとは思えません。ゴメンね、狙ってないもんでね。
この手の話を魚をキープして食べたい派の人と交わしても、イマイチ通じないことが多かったように思います。
彼らの論理では「ハリ刺して魚を傷付けておいて、ありがとうとか、意味わからん」「リリースするなら釣らなきゃ良い」「食べるから感謝するのだ」と、確かに一理あります。皆さんが同じ意見ではないでしょうけどね。
私は魚を食べることを否定しませんし、幾らかは食用に持ち帰ることもあります。勿論その際でも食として戴く命には感謝。
私は食べるよりも先に、好きな相手に出会いたくて釣りをしていますので、出会いが叶えば目的が果たされています。故にその時点で感謝の気持ちになるのだと思います。