山渓遊びブログ 渓流釣りと採集

岐阜県から 山渓アウトドアライフ

釣りの価値観・魚を食べるか逃がすか

私が釣った魚をリリースしたら、それを見た方に「何故逃がすの?せっかく釣れたのに勿体ない」と言われ、ちょっと話をしてみました。

「何故?」との問いですので、答えとしては。

私は魚が食べたくて釣りをしてるのではないから。塩焼きでもやるかと、ちょっと戴くこともしますけどね。

大型魚ほど逃がしたい。それは、沢山の子孫が生まれ、大きく育つ遺伝子を残して欲しいとの想い。

 

「魚を逃がしたら勿体ない」との考え方とは、話がイマイチ嚙み合いません。その方がそうお考えなのは良いのですが、人に言う事でもない気がしますし、私の考えを押し付けるつもりもないです。

 

ネットで釣果の紹介を目にしていて、沢山の魚を〆てキープしてる画像は、しばしば炎上してます。私も正直、残念な気持ちになりますので、そっとスルー。最近は減りましたけどね。

〆た渓魚は色合いの美しさが失われています。私はネットでは、各地の渓魚の個性を観ることも楽しみですのでね。昔の渓流雑誌などには、大量の渓魚が並べてある写真はザラでした。これも時代の変化かと思います。

 

それと逆方向で、魚は釣れども食べない、を徹底される方も居ます。

これは個人の志向として全然良いのですが、だからと言って他者を鬼のように叩くのもいかがなものかと。これまた違った意味で私は残念な気持ちになるので、スルー。

 

以前見たのは、源流部の釣りで、天然イワナを大量キープしてる投稿。

これはメチャクチャ荒れてました。そりゃそうだろうと思ったのですが、マズいと思えばネットに出さないでしょうから、投稿者とその仲間は、まるでその認識がないみたいで。

 

怒りたくなる気持ちは分かりますが、「ものは言いよう」でもあります。

人に何かを指摘する際、それが法律違反でもない限り、相手側の理には配慮が必要だと私は思っています。

自分の考えは正しい→だから叩いても良い、とはなりません、私の中では。

それで投稿者が反発した場合、説得するのは指摘する側のボール(責任)で、相手のせいにしてはダメ。意見を伝えたいのは、言い手側の意思ですから。

 

私が魚を獲ることを否定しない理由として、「魚を食べてみて分ることもある」との考えがあります。本流と支流、あるいは河川ごとに、同種の魚でも食味が違うのです。これは水質、食べてるエサなど、色んな環境要因があるのでしょう。

 

また私は、次世代の子供たちに釣りの楽しさを知って欲しいと常々考えています。食育と言われるように、「命を頂きます」の意味を伝えるのに、釣りは非常に良い体験でもあるだろうと。

だからと言って程度の問題で、大小根こそぎ持ち帰る必要はなし。そこは伝え方もありますね。

 

極論するなら、魚を傷付けたくないなら、釣りはしないのがベストです。

魚にとっての釣り鉤は、体と鉤のサイズを揃えて人間に刺したら、大変な怪我をする凶器。とは言え体の構造が違うので、ダメージまで同じにならないでしょうけどね。

 

実際に、釣った魚を鮎釣りのオトリ缶に入れて生かしておき、2日後の生存率を調べたところ、釣り上げたのみで死んでしまう魚は殆どいないと分かりました。2度しかやってないですが、私にはそれでデータは十分。

 

私は渓流魚が好きで、出会いたくて釣りをしています。

出会うには釣り以外の方法が無く、魚に幾らかの傷を負わせることは承知です。それに掛かった魚が暴れて強く抵抗する程に楽しいのが釣り。どこか矛盾含みですが、元気に流れに戻したいとも思います。

 

好きだから、大事にしたい。その為にも相手の事が知りたい。

魚を含めた自然環境への意識は、対象に出会う事で深まるものと思っています。