私は渓流釣りで、「超興奮」を何度か経験しました。
それは魚との出会い。「大声で吠える」「体が震える」など、「意図せずそうなってしまう」、喜びが爆発してる状態ですね。
ヤリトリの最中に緊張し過ぎて、魚を取り込んだ際、過呼吸?のように、喉がヒューヒュー鳴った事もあった。
ハリに掛けた魚が見えた時、その姿で膝が震えた事が数回。
釣り上げて吠えたのは、これも数回。魚を釣り上げた後に震えたのは、一回だけです。震え出しそう、までは何回か。
釣り場で泣いてしまったのは、これも一回だけ。
緊張と興奮が高まる釣りは、深く記憶に残り続け、心を豊かにしてくれる。何年も釣行を重ねても、こうした感覚を得るのは、滅多に無いことです。感情が表に出るかどうかは、人によるのかもしれませんけどね。
これらは私の人生において、渓流釣り以外では味わったことがありません。他者様と話をしていても、未体験な人が多く、レア度は高いものと思います。
想像ですが、一流のアスリートや、超大手ビジネスを手掛ける方々になると、もっと凄い興奮を経験されてるのかもしれないです。
別件ですが、漫画のような「高笑い」は一回だけ、キノコ採りで経験しました。過去最高の大群生に出会った時のことです。
為した成果への感動の大きさは、それまでの過程で賭けた時間と熱量に比例関係です。一所懸命に取り組むほどに、良い結果に出会えた喜びが大きくなり、それは一生ものの思い出となる。
釣り上げた魚や、その時の景色を撮影し、後で見返す時間もとても良いものです。
私自身、釣りを「楽しい」と感じる時は、望みの成果が出ているか、出そうになっているか。勿論、それ自体は心がポジティブに傾いている証左で、良い事。楽しさとは、継続して取り組む熱源のようなものです。
しかし冒頭のような超興奮は私だと、他事どころか我を忘れるほどの集中をしてる時にしか現れません。そんな時は心に余裕が無く、楽しいとか言っていられない。むしろ厳しい状況下であるほどに、良い結果に繋がった時の喜びは反動増します。
比べるのは失礼かもですが、スポーツの大きな大会で、ライバルと競っている選手がプレー中に楽しそうな笑顔を見せるわけではないのと、似てるのではないかな。
釣りにも「慣れ」があり、例えば大物を釣り上げた感動が最も大きいのは「初回」です。また、中々出会えず、何年も掛けてようやく出会えた狙いの魚などは、久しぶりの再会にも感動が起きます。
案外、コンスタントに釣果が出ていると、楽しいのは確かですが、超興奮までは中々ならない。
では、よく釣れるようになったらツマラナイかと言えば、おそらく違います。
それは時間と熱量が重なり続けた結果の一面。実績を積むことで自信が生まれ、その余裕が楽しさを創る。経験から新たな発見があり続け、上達向上の過程に喜びが宿ってますからね。そして新たな発見に出会い、追求には終わりが無いです。
強度の興奮には良い意味で中毒性があります。それを知ってしまうと、もう止まらない。
人生において、追い続けたい事柄が見付かったことは本当に幸いで、それは趣味だけでない、日々の充実を創出できるものと思っています。