良い事に出会うと、その時の喜びでその後しばらくの時間を幸せな気持ちで過ごせます。余韻、ですね。
レア度の高い体験ほど余韻は長く(強く)、身近な日常で起きる事柄だと短い(弱い)。海外旅行などは分かり易いかも知れません。非日常が山盛りですから。
この余韻を味わっている時間とは、どの程度か?
体験の内容と個人差があると思いますが、よく保って2~3週間ではないでしょうか。一ヶ月もの間続くのは、そうは無いかと。
私は渓流釣りで今までに何度も、忘れられない魚との出会いの感動を経験しました。
毎回思うように釣れるものでもなく。まして吠える程の興奮を覚える魚は、滅多に出てくれません。いわば、超レアな出会い。
渓流釣りは攻めの姿勢というか、自身の工夫と努力で結果を引き寄せる、能動的要素が強い。更には美しい景色や水、周囲の自然に浸る受動的要素も沢山。これらが非常に上手く組み合わさっている、と、私は感じていて。
良い釣果に出会えた時、その日その時の情景と魚とが、深く記憶に残ります。
私自身の志向として、渓流では良型を釣りたい。ゆえに出会えた感動が大きいのは大型渓魚です。
大物は希少性が高く、警戒心が強い。掛けるのが難しく、捕るのも難しい。ハリに掛けてからは強い引きで抵抗するので、手強い魚ほど、その際の緊張と興奮が増します。
無事取り込めた安堵感と喜びは、緊張の度合いと比例関係。
大型魚を狙う釣り人は、その出会いの喜びを求めているのだと思います。
色艶が美しく格好良い大型。そんな魚が釣れると元気ハツラツ。ふと思い返しては、ニヤニヤしたり(笑)
仕事も頑張れる、何だか体調も良くなった気がする、良い事尽くし。釣りの疲れなんて全然感じません。余韻の効果でしょうね。
触れておきますと、気合い入れて釣りに行きスカ喰らうと、ドッと疲れてその後のモヤモヤ感が消えません。大型をバラした時などは最悪。
喜びが大きいものは、逆を引くと落胆もデカいです。ただ、良否のどちらが出ても、次の釣りに向かう燃料が投下されるのは確かですけどね。
人間は良い事も悪い事も忘れるものです。
喜びの余韻に浸っている間にも、日時は進んでいき、そこに留まりたくても、周囲の事柄は常に動いていて、自分の立ち位置は同じではいられません。
とても悲しい、とても嬉しい、どんな事も、忘れないにしても意識の中でそのうち薄れて行く。
記憶が薄れたからと言っても、その体験の価値は無くならないし、思い出が消えることも無い。
便利なもので、良い事が起きた際に撮影するなどして、記録を残すのは容易です。その時に残した写真等を見返せば、都度忘れかけていた喜びを思い出して気分が上がります。
大なり小なり日常にストレス源を抱える事の問題は、忘れる間がなくネガティブな意識に時間を取られ、心身の健康を損なったりするところ。
これを自身で取り除けるのなら、何とか工夫するとして。
そうでないこともあるので、自由時間が1時間だとしたら、マイナス意識ばかりで全て使うのでなく、プラスを考えてる時間が増やせれば、結果的にマイナスは減ります。趣味を持つ良さの一つはこの辺りかと。
魚一匹と出会う事で、身震いするほど感動でき、その余韻と記憶とで日々を楽しく過ごせる。私は渓流釣りを趣味にしたことで、人生が豊かになったと思っています。