扌(手)に「兆し」と書いて挑。
辶(移動すること)に「兆し」だと逃。
兆しとは、何かの物事が起こりそうな気配、の意味。
起こりそうな何かを手にする為に、「挑む」。
起こりそうな何かから離れるのは、「逃げる」。
挑むと逃げる、この2つの漢字の部首が同じだとは、考えた人は凄い。
ここは山渓遊びブログですから、アウトドア人的な解釈を書きます。
渓流釣りでも山菜キノコ採集でも言えることで、山渓遊びは奥が深く、中毒性が高い。寝ても覚めても山渓が気になって仕方無い勢いになり、私は漬ける薬のない程にドハマりしてます(笑)。
ライトに楽しむのも、深く追い掛けるのもOK。取り組みは人それぞれです。
山渓の遊びで良い結果にコンスタントに出会うには、相応の努力が要ります。努力と言っても、ハマる人はそれが楽しいですから、苦痛ではありません。
ところが厳しい状況や、手強い相手になると、かなり大変。
釣れない時間が続いたり、折角の魚の反応を取り損なったり。
増水、渇水、寒気、暑気、強風、大雨など、優しくない条件も多々。
場合によっては、撤退も必要です。
優しくないを過ぎて「危険な兆し」があれば、「逃げる」が正解。
それと釣り場を選ぶ時に、明らかに状況が良くないと分かれば、その場所を避けて別所に行くのも選択のうちで、それは現地に出向いてからの変更でも良し。
これを逃げると表すのは違う気がします。釣りを通すのであれば、方向の転換は撤退ではなく前進ですのでね。
釣りに悪条件で、その状況の打破に「挑む」時、打つ手の見えない、何の「兆し」もないことが多々あります。
ここで折れるか、通せるか。または苦痛と感じるか、楽しみと感じるか。
私は釣れない時間が流れてる最中は、楽しいとは全然感じません。
ですがそれでも続けていると、振り返った時に「あんな事もあったが楽しかった」にいつか必ず行き着きます。その時ダメでも、結果に届いた後の喜びは大きいのです。
このモチベーション、精神力は、まずは先に書いた「ハマり」の度合いによりますね。加えて、過去の成功体験も後押ししてくれそうです。
また、今までの自身の体験や見聞きした情報から、「期待という兆し」を感じれば頑張れます。羨望でも憧憬でも、最終的に手にしたい成果は何か、そのゴール設定と優先順位次第だろうと。
厳しい状況で継続して取り組めるか否かは、この「期待」の有無でしょう。
深く追求したいなら、なるべく折れない方が良いし。軽く触れたいだけなら、シンドイ目をしてまでやらなくて良い。私の渓流釣りは前者。
ゴールに行くのがキツくて「楽(簡単)な方へ逃げる」ことを、サボる・怠けると言いますね。
簡単に手に入る喜びは、厳しい状況を突破して得られるものとは比べられません。とは言え、あまりにキツいと心が折れそうになるので、支えとして、期待、つまり「兆し」を探したい。
厳しい釣りから「逃げる」を選ぶと、ゴールが近付きません。
そこで「挑む」を選ぶと、前進した分はゴールに近付ける。
「兆し」を「逃がさない」ように「挑み」続けるのが、自身の納得・満足感に繋がる結果になるのだと思っています。