同じ岐阜県育ちの方が、
「自分も山はあちこち行ったけど、もうその景色が見たいとは、あまり思わない。
違った土地を旅行するとか、別の楽しみが欲しいんだよね。
ずっと似たような山に行ってて、飽きない?」と。
全っっっっ然!飽きません(笑。
この方からすると、「同じ事ばかりしてないで、もっと広く色々なところを見るのも良いよ」と言うことらしい。一理ありますね。
しかし私はこの方とは、同じ景色でも、視点とそこでの行動が違います。
お断りしますが、私は他者様の意見を否定する訳では無いので、誤解なさいませんよう。
私は若い頃は旅好きでした。海外だと、20ヵ国くらい行きまして、その楽しさは知っているつもりです。
海外で釣りをしたのは、2ヵ国。日本に居ない魚を釣るのは面白かった。懐かしいです。
ですが今は、また旅に出たいとは、殆ど考えません。その時間とお金があるなら、釣り竿持って山に行きたい。今は渓流釣りの方が、海外旅よりも興味・関心が上になりました。
私が渓流釣りにハマったのは、気軽に行ける距離の範囲にも、知らない場所、分からないことが幾らでもあると気付き、そちらに意識が向いたから。灯台もと暗し。
旅などで景色を見るのは受動的な要素が多めで、自身が何かを作り出す能動が少なめです。
受動的感動と能動的感動では、今は私が欲しいのは後者。スポーツ観戦でも感動はしますが、プレイヤーのそれとは比べられません。
私にとっては渓流釣りをはじめとして、山の遊びに求めるものは、能動的な要素が強い。フィールドでは自身がプレイヤーです。
山渓で景色を見るだけでは、あまり楽しくない。一年中の休日の大半を山渓で過ごすので、さすがに見慣れています。
これを「飽きないのか」と問われるのは、分かります。人が飽きるのは、情報が処理されて、新しい刺激や発見が少なくなるからです。
しかし私は、行くだけ、見るだけではありません。確かに同じ河川で同じような釣り方ばかりしていれば、マンネリ感が来ますけど、そこはやり方次第。
山渓遊びは、景色に出会うのがゴールでなく、スタート(場所によっては、過程か終点かも)。
自然を観察し、知識・技術を得て、結果を出す為の攻略の始まりです。
同じ日、時は2度と無くて、自然の変化の全てを理解するには、頭と体を目一杯使っても、人間の一生では時間が足りない。何を求めるのか、その次第では情報の処理が尽くされようがないです。
対象が生きた魚ゆえ、行けば必ず出会えるものではなく、しかしその可能性は自身の努力、力量の向上で変えられる。
手強い野生の渓流魚を相手に、工夫と苦労を重ねて、狙いの釣果が出た時の感動は、おそらく生涯忘れません。
そして次の夢に向けて、取り組み続ける。飽きる暇どころか、寝ても覚めても意識が切れることが無いです。
同じような環境で育っても、好奇心の向きどころは、皆違います。
私がハマるものに興味も湧かない人も居るし、他者様のハマるものに私は無関心かもしれない。価値観に上下優劣はありません。
私は追い続けたいものに出会えて良かったです。
海外旅の沢山の思い出の中で一度だけ、感動で泣いた事がありました。釣り旅の時です。
あれは良かったですが、今は私の目線は国内の魚に向いてます。やっぱり私は、旅より渓流釣りです(笑)。