渓流で大物が釣りたい。中でも色合いが美しく格好良い個体だと、とても嬉しいです。
でも渓流釣りでは、喜びは魚体だけに感じるわけではないのですね。
今回、その出会いまでの過程の話です。
まず、魚が手強いほどに、捕れると嬉しい。
小型魚と超大型魚では、引きの強さはかなりの差です。相手がデカく、重いほど、魚の抵抗は増します。
無事に取り込めた際、興奮と安堵感がやってきて、強い達成感が得られます。ここが大型魚を釣る魅力。
魚自体の抵抗も勿論ですが、立ち位置が悪くてヤリトリが不利だとか、増水のキツい流れで寄せられないとか。こうした場合、魚を掛けてからの瞬間瞬間の判断力と、竿捌き等の技術が問われる。小型魚だとすぐに水から上げてしまえるので、そこまでの緊張感は無いです。
釣り上げるまでに手こずらされると、取れた時に技術的な満足感、そして安堵感が高くなります。
それと違う苦労の方向として、レア度の高い出会い。
小型の多い渓で滅多に出ない良型、そもそも個体数の少ない魚などです。釣り自体の難しさとは別で、出会いが希少な魚が居る。
そんな魚がハリに掛かれば、絶対にバラしたくない。
これとやや似たことで、条件的に厳しい日があります。例えば極寒や猛暑、大渇水大増水など。
こんな日の一尾は、好条件の何尾に相当するかと思うくらい。ボウズ覚悟かと言う状況で、やっとこさドカンと来た、なんて事になればそれはもう。
総じて釣りは、魚をハリに掛けてからの緊張と興奮が高まるほど、つまり労力を費やすほどに、取り込めた喜びが大きいです。
出会いが難しい魚ほど、掛けられると興奮し、外したくない緊張がある。
でも実は、チョイと釣りに行って、アッサリと大物が釣れた、なんてことが起きたとしても、それはそれで嬉しいのです。
釣りでは良い日も厳しい日も当たるわけで、その日までの過程がある。その中で幸運を引いた、というところかと。勿論、技術的に狙いが的中したとも言えますね。
釣りに行く前にも、また現地でも。釣り人は気象条件などの自然の移ろいから、「読み」を働かせます。
その内容は様々。
私だと、気象情報を見るのはまず必ず。それ以外に、渓の周辺の自然を観察し、過去記録と合わせ、状況判断に活かそうと心掛けています。そして釣り場、釣り具、釣り方を選んでいく。
予想を立てて、実際に釣って、果たして狙い通りの釣果が出たら「してやったり!」。
こうして読み勝ちした時は、釣り人は間違いなく嬉しいです。
好釣をした釣り人が、魚に出会うまでに現場で苦戦した様子と、それまでにどんな工夫をどれだけしたか、ここらは釣果から他者には見え難い部分。
釣果を上げる努力をするのは、喜び、感動が欲しいから。その度合いは、魚に出会うまでに賭けた時間と労力が増すほどに大きくなる。
努力が望み通りに報われないとしても、自身の積み重ねは、決して自分を裏切らないものと私は思っています。