渓流釣りでは昔から、「川と魚に教えて貰え」と言われてます。これはその通りで、実体験に勝る学び無し。
しかし、「人」から学ぶことも沢山あります。自分以外の人の釣りは、興味津々です。渓流釣りでは他の釣り人を現場で見ることは少ないですしね。
腕達者な釣り人の動作は勉強になります。聞けば教えて貰えることもあり、そうならラッキー。
なるほど!と手を打つことも何度もありました。
何とか取り入れようと頑張るのですが、せっかく教えて頂いても、すぐには再現出来なくて。不器用なのは自負しています(苦笑)。
しかも実際に誰かの釣りを間近で観ても、あまり分かってないままだったりします。
私も習うばかりでもなく、他者に聞かれて、釣りを教えた?ことも。
そこで思うこと。
分かっているつもり、と、分かっている、は違いますね。
私の考えでは「出来ない技術は、分かっていない」と同時に「分かっていない事柄は、文章化出来ない」、そして「人の感覚は、完全には言語化出来ない」。
自分の技術を文章にして書くのは、結構難しい。
言葉に出来るものは、伝えられます。ただし伝わるかは、伝え方と、相手の受け方次第。
この際に勉強になるのは、教わる側よりも、実は教える側です。
「見て盗め」とはこれも昔からある言葉。これには「答えを自分で考えろ」の意があります。文章化し難い部分も「見せる」のは出来ますし。
簡単に答えを聞くことが良いとは限りません。自分なりの答えを探すプロセスを経ないと、聞いても理解できないことは多いです。
どうすれば良いか考えて、何度も試すと、それでようやく気付くことが見付かる。その為に掛かる時間は人によりけりです。
それと先輩が後輩に教えても、完全に同じにはならないですね。頭の良さ、体力、身体の各パーツ等々の土台が違いますから。
伝統の職人や、品質管理が必要な組織のように、一定のところまでは決まりのあるものは、技術伝承が体系化されるものと思います。
アドバイスは出来る・聞けるとして、真似出来ないのが感覚。センスとも言いますね。
ちなみにセンスとは、「選択する能力」です。センスを形にするのが技術で、基礎動作・知識が大事。
以下、私の反省から。
ある程度経験を積むと、自分の感覚(クセ)の修正がとても困難になります。
せっかく教えを貰える機会が出来ても、全っっ然、真似ができない、って事態になりがち。
何とか真似しようと頑張っても、不慣れな動作が上手くいかなくて、気付けば元通り、みたいな。吸収を自分の技術に阻害される。
まぁ、言い訳くさいですが(苦笑)。
単純な話、自分が習った技術を再現する力が不足してるのです。
まだ経験の少ないお若い方は、もし優れた先人と出会う機会があれば、よく見てよく盗み、考え実践し、存分に吸収してください。
川と魚が先生であることには変わりがなく、そこに良い人の縁が加われば、更なる向上が期待できると思います。
私も諦めずに、不慣れな動作でも時間を掛けて習得していきたい。
試行錯誤して結果的に、多くの方たちから学んだことを活かして、自身のオリジナルが作れたら良いなと。
まだまだ、時間が掛かりそうです。