山渓遊びブログ 渓流釣りと採集

岐阜県から 山渓アウトドアライフ

「楽」の意味するところ・山渓アウトドアの喜び

人の普段の生活は、「いかに手間を省くか」で構成されてますね。

床も道路も壁も基本平らで、目を瞑って歩いても、怪我しないように造られます。

スイッチ一つで電気が着き、蛇口をひねれば水が出る。遠い場所ヘ行くには、交通機関や自動車。スマホ一つ持っていれば、色んな情報を取れる。便利で安心、です。

面倒事は道具に任せて、その分は違う事に時間と労力を振ってるんですね。時代は進歩しますが、それで人間がこなせることが増えるのではありません。

私は渓流釣りと山菜キノコ採集をやりますが、上記した話とは、ほぼ逆を行っています。車には乗るし、釣り竿などの道具は使いますけどね。

足元は凸凹で歩くにも注意が要り、携帯は圏外、スーパーに行けば魚もキノコも買えるのに、時間と労力を費やして追い掛けてます。言うならば、不便で危険(笑)。

 

何でそんなリスキーなことをしてるかと言うと。

面倒ごとを自身の能力でクリアするのが面白いから。

美しい自然の中であることもですし、その自然は人間の利便性で出来ていません。

人工物のように自分たちに都合の良いように作られるのではなく、こちらが自然に合わせていくことで、良い結果が見られます。

「楽をすること」を「面倒を避けること」とすると、「楽しいこと」とは意味合いが違うなと。字は同じく「楽」ですが。

簡単に手に入るものはその喜びが小さく、難易度高いものほど大きい。楽しさは後者に多く含まれると思うわけです。

便利な道具を使うのと、不便な中で工夫するのと、選べるなら簡単な方が良いじゃん、ってのは一理あるのですが。

技術と知識を上げていくことで、労力も、使う道具も変え、簡単ではないことを簡単にしていける。

これにより「楽をする」と「楽しい」が一緒になります。しかし、これが中々難しい。

生活の利便性は、慣れてしまうと刺激が少なくなります。慣れることは、情報が処理されることですから、新鮮さを感じ難いんですね。つまり退屈になりがち。勿論、生活は工夫次第で飽きるものではありませんが。

山渓のアウトドアでは、情報が処理され尽くすことは、まずありません。膨大な新しい情報が入って来て、刺激に溢れてます。こちらは脳内が活性化し、熱中、もしくは没頭

頭の中の情報の整理には時間が掛かるので、帰宅後暫くは新鮮な感覚を持っていられ、その事が新しい行動に繋がっていく、と。

 

日常でも情報は沢山あるのですが、人は自分に必要なものをチョイスして生活してますから、身近に新鮮な情報源があっても、興味が無ければ手を出しません。山渓のアウトドアも、興味ない人にとっては同様かと。

便利で安全な日常と違う、思い通りに事が運べない非日常が山渓の面白さ。

楽じゃないことに挑むから楽しいと想っています。