山渓遊びブログ 渓流釣りと採集

岐阜県から 山渓アウトドアライフ

釣果と収穫の自慢話?

渓流釣りなら、釣果。採集なら、収穫物の数量。ネットでは時としてビックリの成果が紹介されています。

その成果は、何故紹介されているのか、それを見聞きし、どう感じるか。

 

 

「自慢話は不快」

とは、その話をする人が、他者を見下す態度だからじゃないですかね。

そうでなく単に成果を披露してるものにそう感じるのなら、それは嫉妬とかヒガミとか、羨望、焦燥のような、別の感情かと。

あるいは、成果の紹介の仕方と内容に、自身の考え方と違うとかかも。私の場合だと、大量の渓魚を〆てる画像には、ちょっと残念な気持ちになります。

 

不快なものに触れる必要はないので、さっさと離れるなりすれば良し。あるいはその不快感を起爆にして、自身が向上する負けん気を出すなら、それも良し。文句だけ言ってても何の生産性もなく、むしろ有害です。

受け手が勝手にマイナス感情を抱くのは、損。反対に、ポジティブな情報と受け取った人にとっては、得です。

誰かの発信、発言を取り上げて、鬼のように叩く人が居ますけど、「では如何するのか」が本番だろうと。勿論、明らかなルール違反とか、他者を傷付ける発言に対しては別ですよ。

 

 

私も山渓の遊びの成果を、どこそこで紹介していますが、自慢しようと思ったことは一度もないです。自分より圧倒的に優れた人が幾らでもいる世界で、私なんぞが何をやろうが、ですのでね。

知識や腕前の程度はともかく、私より後から入ってくる人だって居るわけですし、私のキャリアでも、出せるものもあります。

何のためにこうしたブログなどで紹介してるかと言えば、どこかの誰かが、それを楽しんでくれれば良いなと考えているから。私自身が他者の発信を楽しんでいますのでね。

私は山渓遊びを心から楽しんでおりますし、それが価値観が共有出来る人に響けば嬉しいです。

 

ただ、誰もが同じ考えではないですからね。情報の出し手と受け手が、違った物見をするのは当然のこと。

名人級の成果を出す人でも、何も発信しない人だって幾らでもいます。

価値観の違いを交換することはあって良いのですが、個人の感想を人に強要するのは、互いが不快な思いをするだけ。

私が意見交換はするが、議論はしない、とのスタンスを取っているのは、趣味の楽しみ方においては、議論が有益と考えないからです。

 

冒頭に戻して、自分が自慢したい心理を持ってる人は、他者もそうしたいだろうと考えるフシがありますね。そうかもですし、違う人もいるかも。自分以外の人の心は、分かりませんのでね。