山渓遊びブログ 渓流釣りと採集

岐阜県から 山渓アウトドアライフ

共感すること

私は渓流釣りをやってきた中で、様々な趣向の方を見てきました。釣りスタイルが違い、手にしたい成果も違う。本当に人それぞれで、完全に一致する人は居ないです。

私だと、綺麗で格好いい野生の大型渓魚が釣りたい。ここは多くの渓流釣り人と重なる部分。

他には、美しい自然を感じるフィールドが好きで、山菜やキノコを探すのも楽しみ。山渓を広く楽しみたいと思っています。

      

好みが近い同士だと、コミニュケーションが弾み、その中で相互に理解し合える人達と出会えると、お付き合いが始まります。

仮に私が好釣果に大喜びしてたとして、それが共有できるのですね。仲間が喜んでいるのなら、私も嬉しい。ある程度趣向が重なる人であれば、出てる釣果の希少さや、それを手にする苦労が分かります。

他者への共感はまさにこれ。どこまで同じ感覚が持てるかの程度ですね。仲間が居る良さは、相互理解できる喜びがあることだろうと思います。

通りすがりで知り合えた人が好釣果なら、おめでとうと声掛けもしますが、そこに至る過程を知ってる人に対する方が、喜びは大きいものです。

ちなみに、霊長類の研究者の言うには、他者への共感は人間特有のものなのだそう。

 

また、共感と似ているけれど、ちょっと違う感覚も。

私には釣り好きな息子が居まして、その釣果は私は自分の事のように嬉しいです。これは息子に共感するのとは、別の感情かなと。

また、私などよりずっと腕達者な人の成果に対してとか、あるいはまだ初級の後進からとか、共有と言うには微妙な位置関係もありますね。釣果への称賛と共感は同時に起きるものもあれば、羨望・憧憬などにより、共感まで行かないものも在るでしょう。

 

さして興味もなく、分かっていないのに、「凄いね~!」「そうだね~!」って合わせるのは、共感とは違います。それは社交辞令、お世辞、ですね。キャバ嬢ちゃんの得意技かも。

勿論、人が喜んでる時に「良かったね」、悲しんでる時に「大変だね」と声掛けるのは𠮷ですし、理解できなくても想像できるものも在ります。

それと、同調と共感もちょっと違いますね。世間で言われる共感は、同調の方を指す、もしくは含めてるように感じます。

悪い意味でないですが、共感を求める人は女性に多い気がします。

男性でも、承認欲求とか、自己顕示欲が強めな人は、褒められる、持ち上げられる等を喜びますね。

SNSが登場して、アッと言う間に広まったのは、ここらも背景にありそうです。

 

共感されると嬉しい、ですが、理解されないとか、まして否定されるのは不快、これは確かに。ただ、共感とは人に強要するものではありません。

同じか近い価値観を持つ人が集まれば、その中に居るのは心地良いものです。でも真逆の価値観も世にはあるもので、熱心に付き合うかどうかはともかく、違ったものに触れることも時には良しかと。

 

私個人の話だと、誰かとの共有感覚を求めることより、単独でも自分の好きを追い掛ける方が優先です。山渓遊びはソロの要素が強くて、それが楽しい人がハマり易いのじゃないかな。

しかしその結果を共有できる仲間がいる。人との縁は大事にしたいと思っています。