「何かあったらどうしよう?」を先に考える、良く言えば慎重、悪く言えば心配性で、窮屈な考え方の人は多いと私は思っています。
そうでなく、何かあったらその時考える「何とかなるさ派」も。良く言えば楽天的、悪く言えば迂闊。
人の考え方は「クセ」になるもので、このクセは殆ど無意識に、行動を判断する際に発揮されます。どれが良い悪いとは言えないですけどね。
先般、小学校の先生が「川に入ると、急に流れが速くなったりして危ない」と児童に教えたのだそう。
意訳すると「危ないから行かないように」ですね。夏休み前には、よくある話です。
「危険がある(かも知れない)から、ダメ」との教え方。私の意見ですが、これは子供にものを教えたことになりません。
流れが速くて危ないなら、どうすれば良いのか。これを子供が解るように導くのが指導ではないですかね?
「やってはダメ」が増えると、同時に楽しさが減る。危険がなくなることと、幸せが創れることは同じではないです。楽しさを追うのは、(リスクがあっても)自らの意思で幸せに向かい行動するということ。ここに縛りを掛けるのを、先に「窮屈」と表しました。
勿論ですが、他者を傷付けるとか、そう言うのは全然ダメです。
学校側の立場も分かる気がしますし、私はこれに対し、先生に文句言っても仕方ないと思っています。先生の指導も「一つの意見」ですのでね。
私は個人で独立して仕事をしていて、事業が失敗すれば痛いことになります。
危険があるから、独立はダメ。じゃないですね。
そうならないよう、何をどう準備して臨むのか、上手く行かないならどう対処するのか、そこを考えて行きます。
当然ながら実行力は必要で、それは現場で鍛える他は無し。それが足りなければ、やりたいことが叶わない。
川遊び(現場)を知らない人は、川の楽しみ方が分からず、いざやの対応力も備わりません。
やる前からリスクを強調するのは、子供を委縮させると思うのです。
幼少の子供にこのような教え方を大人がしていれば、出来事に対応するのでなく、避ける考え方がクセになって育つかもしれない。せめてこの場合には、起き得る危険ばかりでなく、得られる楽しみにも触れて欲しいものです。逆に推奨するなら、同時にリスクを教えることも必要。
重箱の隅に小さなゴミがあっても、中身が腐ってるわけではない。それなら美味しく食べつつ、ゴミは避けたら良し。ゴミだけに目を向けては、全体が分からない。ましてや「ゴミがあったらどうしよう」では、何も出来ません。
大人が自己判断で何処に目を向けるのも自由ですが、子供に伝える際には、言葉の影響力を考えた方が良い。
子供が自然に親しむことは、とても良いことのハズです。
人が作った遊び場ではない場所で、創意工夫する喜びがあり、教科書では観られない学びが詰まってます。
実際に、幼い頃から川遊びが好きで、大人になって水産業界や、アウトドア業界に入る人もいます。趣味においても、プライベートの充実になる。私がそうで、ウチの息子もです。
リスクがあるから近付かないのは、将来の可能性が減るリスクを負います。大人が子供の未来を取り上げちゃイケマセン。
以前、学校の先生に「子供のアウトドア体験なら、ボランティアスタッフで参加するから、呼んでくれ」と振ってみました。
今のところ、呼ばれないですが(笑)。