私が渓流釣りを続けてきて、環境の変化は各所で感じます。
一例ですが、私がずっと以前に通っていた渓流は、工事が入り、土砂で埋まり、コンクリートで固められ、魚が見えなくなりました。
今は釣ろうという気になれないです。案外、魚は逞しいですから、どこかで生き延びてますけどね。
趣味の世界だけでなく、
・時代が変わった
・今までの価値観は通用しない
・先の見えない現代 等、
昔と今は違う→未来は分からない、的な表現はあちこちに。
これは確かにそうですけど、これらの言葉には、今のままではダメだ、との不安の意味が含まれてるように聞こえます。未来が解る時代なんて、なかった気がしますが。
時代が変わるのは当然で、私が子供の頃からずっと、こんな言い方はあったのじゃないかな?
個人的には「どうなるか分からない未来」には、不安と期待の両方があり、あまりどちらかだけに意識を振らない方が良いかと。
大事なのは、「それで、どうするのか」。
時間は逆転しませんから、変化に自分が対応するしかない。勿論、元に戻す努力も選択のうちです。私は基本、現代の環境を受け入れ、時代に合わせて進んでいく方を取ります。
先の釣り場の件で言えば、「そこには行かない」「それでも好きな場所に行く」色々考えられます。
要は最終的に、自分が楽しめるかどうか。時代とか環境のせいで楽しくないとしても、「楽しくない事実」は変わりません。それだとやる意味は弱い。楽しくないことを超えたら楽しめる期待、がある場合は別ですけども。
河川工事で環境が変わるのは、正直残念です。
だけど自分が住んでる家も、車で出かける際の道路も、元々は山林でした。
無駄に自然を傷付けるのはいかがなものかと思いますが、大抵は必要があって造られてますのでね。
私は最近、何年振りかに、ある渓流の再開拓に通っています。
色んな事があり、そこは冗談抜きに魚が少なくなりました。それはアマゴやイワナの渓魚も、ウグイやアブラハヤなどのコイ科魚も。それで暫くは放っておいたのですね。
それが禁漁期に見回りに行き、小魚の群れが見えたり、大淵にデカいイワナが居たりで、幾らかは復活の傾向が見えました。
今年実際に竿を出してみて、以前ほどでないにしても、魚達が棲息してることが分かり、一安心。
完全に元通り、とは行かないみたいですけどね。数年振りに竿を出してる訳で、その期間中に私自身が幾らかでも進歩してるなら、以前より釣れてもおかしくないですが、そうはなっていないです。でもこの様子なら、いつか回復するだろうと。
一旦は悪い方に傾いた環境も、時間の経過とともに復調するのは、よくあること。逆に元通りにはならないものも在ります。
何事も、変化なく続くものは無い。良い方も悪い方もいつかは終わり、入れ替わる。
公害が騒がれた昭和、近年よりも河川の汚染は深刻でした。今は社会問題になった河川にも、魚は棲息し、釣りが楽しめるまでになっています。
自然の為す事に、人為が加わる現代。
短期間的に魚が少なくなっても、何年も掛けてまた、良い方の期間は巡ってくるものと思っています。