最近になり、若い頃に流行っていたバンドの歌手が亡くなっていたことを知りました。そんなに高齢でもないのに・・少なからずショック。遅くなりましたが、ご冥福をお祈り致します。
他にも、仕事で強く影響を受けた大先輩が、とか。
趣味の渓流釣りで、名人と呼ばれた人が、とかとか。
直接面識が無くても、当方にとっては大きな存在だった人たちが居た(居る)わけです。
私の身内や友人や先輩や、直に縁のある人たちも、何人かがすでに居なくなった。
思うに、知性、技能、人間性など、他者への好影響を与えていた人へ、「惜しい人」と語られるのだなと、あらためて合掌。勿論、居なくなって良い人なんて、そうそう居ませんけどね(とんでもねぇ犯罪者とかは除く。
先の歌手だと、その音楽を聴いて元気が出た、良い気分になれた等、私も含めた多くの人たちに多大な影響があったものと思います。
仕事において、私の「座右の銘」となった先輩の言葉。私が大尊敬してた人です。
「真の成功とは、仕事を愛し、楽しめているという事だ」・・って若かりし頃に感動したものです。
このお言葉は仕事以外にも、人生そのものにハマると思っていまして。
でもその大先輩はもう、この世には居られません。お会いした時、超好きなヒーローがそこに居る気がして興奮しました。懐かしいな・・。
何処で聞いたか「人の死とは生命活動が停止した時でなく、人の心から忘れられた時」なのだそう。確かに、私が忘れないでいる間は、少なくとも私の中では先人の教えは生き続けています。
「恩送り」と言う言葉かあります。
誰かから受けた恩を返すことは「恩返し」、そうでなく、次の誰かに自分の形で渡していく。
影も踏めない大先達に、何かを返そうと思うのは良いのですが、実際にはそれはかなり難しくて。
人は自分の力量以上の事は中々出来ないですから、受け取ったものを同じ質量で出せなくても、自分なりで良い。
また、与えた方が見返りを期待するのは、ちょっと違うかなと。
世には、某大手芸の事務所の社長のように、死して犯罪者になる人も居るわけで。負の遺産は次世代へ残さず、良い形に変えていく事が恩送りかと思います。
先に私は「座右の銘」と表しましたが、同じ言葉を聞き、同じものを見せて頂いても、それをどう処理するかは個々に分かれます。私が好影響と感じても、他者は悪影響と取るかもしれない。
仕事においては、私は個人で独立しましたから、今は後進の指導からは引きました。
それでも良悪はともかく、私と接したことで、何がしかの影響を受けた人は居ると思うのですね。後進に抜かれたりもするわけですが(笑。
趣味の世界でも、私の後ろから来る人達との縁もあったり、人との出会いは様々。
今は亡き、惜しい人たち。
そんな大きなインパクトは私には無理でも、出来る限り恩を送って行けたらと思っています。