女性達が輝く社会 とのスローガンに、
「それを言ってるオッサン達が輝いてないだろうが」と言うツッコミがあり、大笑いしました。
そんなツッコミを入れるのが悪い、と感じるなら、それは痛いトコロを突かれたからかも。
何事でも、「やって見せられないことは、言って聞かせられない」です。人を動かすには、まずは自分が動け、人を輝かせたいなら、自分が輝いて見せろ、ですね。
女性進出を言われて反感を一部に買うのは、言い手が相手を自分の思うように動かそうと言う意図があるからじゃないかな。
自分の意思でものを考えるのが苦手な人は多いですから、それなら誰かに引っ張って貰えると丁度いいかもですけども。
同じ言葉なら、出来る人の言う事に聞き手がなびくのはありますね。
良いことを言っても伝わらないなら、受け手の問題もあるでしょうが、言い手の足らなさが疑わしい。
私の趣味でなら、釣れない人が語る釣り方に、どれだけ聞く価値があるか?と。
ところが影響力、牽引力がある人でも、本人はそう考えてるばかりでなくて。
優秀と見える人と話すと、「自分は全然」って仰ったりとか。
センスの塊かと感じるのに、「センスなどない」とか。
自分の優秀さに無自覚で、本当に自分は大したことないと思ってる人もいる。謙虚なのかもだし、自身に納得していない、向上意欲の現れかもです。
自分なんぞが、人様に物言うのはおこがましい、みたいな。
この辺は、他者比較と、自己評価のバランスかなと。
個人的には、自分を過小にも過大にも評価せず(←難しいですが)、他者に好影響をもたらす人には、良いメッセージを出して貰えたらなとは思います。積極的に人を導くとか、そこまででないにしても。
私も色んな人の意見を見聞きし、自分なりに咀嚼して今に至っています。
「恩送り」と言われるように、誰かから戴いた学びを、他の誰かに渡していくことで、世に循環すると思うのですね。
それが時代の変化とともに形を変え、後進に何かを残せば、その後輩を先輩として、さらに次の世代に・・と全体が豊かになればと。
エネルギーを貰う側と与える側が居て、大体は両方なんですね。
人に何かを教える場面では、その際に一番勉強になってるのは、教えてる側です。
これは仕事でも趣味でも、最初は誰かに付いて学んでいた人も、後輩が出来たり、自身のキャリアが上がると先輩とも意見交換したりとか、「受ける」「与える」が時々で入れ替わります。人はいつまでも一方的に受け手のままではありません。
女性の社会進出、のような、大きなテーマは私では扱えませんけども。
私も次世代に何かを残し、伝えられたら嬉しいな、と想っています。説得力を持つには、もっと向上しないと、です。