滋賀県に行った人が、食事に入ったお店で「季節の郷土料理コース」を注文したところ、「ビワマスの刺し身」が出て。
「マスは好きじゃないから」と、同行者にあげようとしたのですが、「折角だから」と言われて食べたら、とても美味しくて驚いたそうです。
淡水魚ではトップクラスの食味とも評されるビワマス。滋賀県琵琶湖の固有種です。
この方が好きじゃないマスの刺し身とは、多分、ニジマスではないかな。「マス」と聞いて、十把一絡げに扱うのは、少々勿体ない。全国に色々なマスがいて、提供されていますのでね。
前頭葉の萎縮により、柔軟な情報処理能力が落ちる。故に「こうだ」と思い込んだら、他の情報が入れられない。
思考の柔軟性を保つのには、「物事の一面だけを見て、結論を出さない習慣」は有効
「たまたま成功・失敗した経験」を経ると、「やはり、だから、こうなのだ」が強化される。実は違う答えがあるかもしれないのですが。
何故、他者の話が聞けず、まして否定的態度になるのか。
これは自分が生きてきて、出来上がった脳内の結論が侵される不安からなんだそう。自分と違う意見は、自分の結論を否定しているとの勘違い
この記事を思い出しました。
この人は最後の否定的態度の段に至っていない様子。しかしちょっと失礼な書き方ですが、過去の経験からの「思い込み」で判断しているのが伺えます。
北海道に行ったら、初めてウニが旨いと思った、北陸で海鮮丼を食べたら目から鱗落ちた等、色々聞きます。今まで自分が食べたのと違う、と言うことでしょうね。こうして過去の自分の判断と違うものに出会うのは、とても良い事ではないかと。
人間は思考パターンがクセになる生き物で、それが年齢を重ねるほどに積み重ねの厚さから、柔軟な思考を失い易い。原因は前頭葉の老化で、それは仕方ないのですが、思考の固着化は工夫次第で軟化は可能みたいです。
頑固に決め付けてかかるものは多くない方が、ストレスが減らせることからも大事かと思います。
食の場合は好き嫌いがどうしてもあるので、全部は無理かもですけどね。
私は半世紀ほど生きてきて、周囲にこうした過去の思い込みで物を判断する人が増えてきてると感じてます。勿論、私自身も含めて。
年齢が増す分、経験する事柄も増えて行くわけで、それで良悪の判断を繰り返して今ですから、そう簡単には頭の中を新たな情報に書き換えられないのですよね。
私が小学生の頃、近所に物凄い頑固なお爺さんが居まして。子供なりに「あんなふうには絶対なりたくない」と思いました。
独断と偏見ですが、自分と違う結論を聞かされた時、感情的(ヒステリー)な反応をするのは、女性に多い気がします。男性の方は、そうした反応こそ少ないものの、決め付けが強固でそもそも話聞かない、みたいになる人も居て。
何が問題かと言えば、本人が無自覚にストレスを溜めることと、それで周囲にあまり良くない影響を与えることです。
食の話題はほんの一例ですが、思考の柔軟化を求めるには、自分のマイナスイメージの対象を、形を変えて再挑戦するのは有効かもしれないですね。