山渓遊びブログ 渓流釣りと採集

岐阜県から 山渓アウトドアライフ

渓流魚を釣りたい理由

「釣りに行くより、魚を買った方が早くて安い」

その通り(笑)。

 

言葉を変えて。

「人が全力で走るより、車の方が速い」

アスリートが走る意味は無いのかと言えば、全然そんなことありません。

ではその意味とは何か。

この問いに、説得力のある答えを出すのは、結構難しい気がします。

「やりたいから、やっている」

これは2属性あり、そのことで外から報酬が得られるものと、自己完結するもの。&それら両方備えたもの。

魚が釣れなくても、生きていくには困りませんが、好きなことはやりたい。個人的な答えですと、私は人生を豊かにする為に渓流釣りをしています。

衣食住が揃ったら余暇が出来、始まるのは娯楽。そこが様々に進化し集まり、地域ごとに文化を成します。古代文明から現代まで、生活のインフラが整うと、絵画、建築様式、音楽、スポーツ等々が現れ、趣味も仕事も生まれてきました。

人間は個々に生まれ育ちで趣向性や適性が違い、選ばれる行動とその程度が違います。

体力のあるない、体の大小、好き嫌い。何に興味を持つかは人それぞれ。

多様な個性があることで、各分野の進歩があり、それらが複雑に組み合わさって社会が形成されています。そのことが回って、原点の衣食住の向上に繋がっていく。

渓流釣りも社会の構成要素の一つ。釣りと魚が好きな人が居て、ハリ(金属)やイト(繊維)を作る職人が居る(衣と住の拡充)。

・・展開が大き過ぎるかな。

別方向からなら、人が生物としての本能で何を欲するか、そうした解答もありそうです。

話を戻します。

私は渓流釣りでは、釣れた魚はリリースすることが多いです。魚が欲しくて釣りをしているのではないですのでね。

釣りは元々、魚を捕る手段、つまり漁法です。釣りの第1の目的が食料調達の場合もある。狩猟本能の視点なら、それを満たす行為とも言えますね。

冒頭の話が出てくるのは、食用品としての魚と、趣味の対象が被るからかと思います。実際、切り分けられないですしね。

 

金銭的には、釣り具、交通費、他を考えたら、勘定がまず合いません。時間と労力の面からも非効率。

ただしそれは「魚を得ることのみが目的」であれば。

 

私は渓流魚が好きだから、出会いたくて釣りをします。色合いの美しさ、姿型の格好良さ、野生の迫力を纏う魚たち。難易度の高さから、釣りの相手として申し分ない。

好きな相手を知りたい想いから、その棲息環境や生態にも幅広く興味が湧きます。知的好奇心ですね。

知識と技術の向上で釣果が変わり、手強い対象を仕留められれば、身震いする程の感動が味わえる。それは至福の時。

人は成長が嬉しいと感じる脳構造を持っています。まず生きる事、次により良く生きる事が、個と種の保全に適うからです。

知らなかったことが分かり、出来なかったことを達成する、向上の喜び。魚釣りには、色濃くこれがある。

釣りを通して魚を知り、知るほどに大切さを想います。趣味以外に発展すれば、研究者や養殖業者、漁師に向かうかもしれません(食の拡充)。

買い物カゴに魚を入れても、感動はしないです。食品を入手するのと、好きな相手を追い掛けるのは、意味が違いますのでね。

自分が何をやりたくて、どんな結果を望むか。

私は興味関心が「渓流釣り」に向いていて、理想的な釣果に出会える期待から努力もします。

楽しみを追うことには生きている実感があり、心の豊かさが得られるものと思っています。