山渓遊びブログ 渓流釣りと採集

岐阜県から 山渓アウトドアライフ

釣りが上達した手応えを感じる時

ほんの稀に、ポイント選定から釣り方までがバチッと当たって、見惚れる魚に出会える時があります。過程も結果も納得の釣り。「とても嬉しかった」なら、釣りは大成功。

それが上達したと言うことか、と考えると。そうかもしれない、違うかもしれない。

上達の実感は、大きくは2つ。

一つ目は、今までの自分では獲れなかっただろう魚を仕留められた時。

攻略が難しいポイント、スレて手強い魚、狙い続けたレコードサイズ等、自身の釣りの歴史を書き換える釣果がそれですね。

もう一つで、意外性との出会い、新たな発見があった時。

今までの想定に無かったポイントや釣り方で良い結果を見られると、眼から鱗が落ちたような、認識の塗り替えが起きます。

この2つはカブる時もあり、そうなると実感はマックスじゃないですかね。

昨日まで釣れた事が無かった魚が釣れた、それが想定の延長からか、想定外からか、その違いはあるにしても、未知が既知に変わる時です。

私の思うに渓流釣りは、真剣に相対した時間の分、上手くなります(多分。

元々の体力や頭の回転の速さなどには個人差がありますが、集中力を発揮し好きな事に傾注している最中は、沢山の情報が処理され、僅かづつでも前進する。人は年齢を重ねて衰える部分が出てくるものですが、知識と技術にはそれが無いのが良いところ。

ただし、判定し難い事に、毎回釣果が上向いていくわけでもない。年々向上してるハズなのに、以前の方が数型とも釣れた、なんてことも起きます。自然が相手ですからね。

当たり外れの年回りがあって、通ってる河川が何かの理由で魚影が薄くなったり、災害や工事でポイントが埋まるなどはよくある事。そうなれば腕前が上がっても、釣りは難しくなる。

この際に、「以前は打つ手が無かった」から「今はこんな狙い方も出来る」となっていれば、向上の感覚はあるものと思います。

また釣りをしてると過去を思い出して「今ならこんな攻め方をする」とか「あの時は出来なかったが、今はあの場所でも釣れそう」等、イメージが以前と変わってくることがあり、これは経験の重なりで、少なくとも意識面の前進の現れと言えるかと。

また渓流釣りでは、春、夏、秋と、毎回同じようには釣果が上がりません。日ごとの条件変化も大きいですし。

故に単年だけでは、上達した程度は測り難い。やはり数年は釣りをして比較しないと、分からないのではないですかね。全くの初心者であれば、回数を追うごとに出来ることは増えるものと思いますけども。

具体的な技術の向上とは、案外と数値で見えないのものが多いかも知れません。

集めた情報を知識に変える実践でも、分からないことが分かっても、それですぐ釣れるほど単純でもないです。

 

狙い通りのピンポイントに打ち込む、複雑な流れに上手く通す、それで魚の反応が出る。

荒い流れでも掛かった魚が捕れる。

障害物や風、釣りを難しくする条件下で、竿操作が行える。

他者の釣り後で釣れる。

動作の精確さ、柔軟性とバリエーション。

 

必ずしも釣果の増加に繋がっていなくとも、釣り人は個々に手応えを得ている(はず。

時に失敗もあるわけですが、こうして何かのテーマを絞れば、昨年までの自分を越している感覚はあるものと思います。