流通業者が「かなり頑張って営業の数字を上げても、為替の変動で利益が吹き飛んだりするから、そんな時はガッカリ」と言ってました。
努力が成果に繋がらないのは、ツラいでしょうね。自力では制御出来ない事由に、ストレスを感じるのは分かる気がします。
ただこの場合は、為替の変動によっては利益が倍増する可能性も含みます。
努力して数字を作れば、条件が悪くてもマイナスは少なく出来、良い条件ならプラスが大きくなるはず。これらのトータルが、最終的な成果になるのでしょう。
この話は渓流釣りにも似てると思いました。・・と言うのは、私が渓流馬鹿だからかもですけど(笑)。
釣りを楽しみたいとの想いから、暑くても寒くても、条件がどうであっても一所懸命に竿を振る私。
目指すところは、成果としては良型渓魚との出会い。そのことで自身の向上を図り楽しみを増やしたい、その為に上手くなりたい。
勉強し、工夫し、毎回真剣に取り組んでも、条件的にどうしようもない外れはあります。年々経験は積み重なり、知識も技術も磨いてるハズなのに、釣果が上がり続けるとは限りません。
何故か自分の休日に続けて悪天候。大雨の土砂災害で好きな河川が大荒れ。また、自然の為すことには年回りで、雨が多い少ない、暑さが続く続かない等々、釣りに都合の良い条件ばかりではないです。
条件が不利な時の方が、頭を使う良さがあり、厳しい時の一尾は、好条件の大漁釣果を時として凌ぎます。これは数値の成果の話でなく、一尾との出会いによって得られる喜び、悪条件をクリアした満足感。
沢山の魚が釣れた時は、一尾一尾の印象が薄れがちですが、苦労を重ねてようやく出会った魚には、強い思い入れが残り、忘れません。それが目指している格好良い良型渓魚なら尚更。
ここらが仕事と趣味が違う点ですね。
趣味では最も重要なのは楽しめている感覚で、余暇の充実が目的ですから、数値評価だけが大事ではありません。
小学生までは、まるで算数の苦手な子が、頑張って30点取ったら褒めて貰えます。努力の結果の成長が、そのまま評価されるのですね。
ところが中学生になると偏差値と言う概念が入って来て、全然頑張ってなくても100点取れる子のほうが高評価になる。以後、社会人も基本的に他者評価は成果で測られます。勿論、私立小学校受験する子だと、もっと早くから成果を求めて行くことになりますね。
気を付けたいのは、数値評価は大事なものとして間違いないのですが、精神的な充実と一致するとは限らないこと。
先の例のように、釣果が少なくても満足いく釣りはありますし、結果がその時に出ていなくても、成長があればいつか見える成果になってくるかも知れない。
実力の向上は悪条件時のダメージを減らし、好条件時の成果を増幅させる期待がある。
ここは仕事も趣味も同様であろうと思っています。