先般の記事を読んだ方に、
「感謝の気持ちが持てるのは、(心的に)バランスが取れていて、余裕があるからだと思う」と感想を頂きました。
確かに、余裕というか「心のゆとり」がなくなる状況は、誰でも起こり得ますね。
一例として、仕事があまりに忙しいと、顧客や職場への感謝が薄れる、等はありそうです。仕事があるのは良い事のハズなのですが、過ぎるとストレスになる。
「ありがとう」は、「自分に心地良さ(喜び)を与えられた」際に使う言葉。
何かの対象に感謝をする際、「✕✕して貰った」と感じてます。この際、ただ誰かから与えられたのでなく、それまでの過程で「自身で努力した」と感じる事柄には「達成感」があり、喜びはことさら大きいです。
逆で、嫌な事を「やられた」「やらされた」等、ストレスを感じると、感謝の気持ちを持つのは難しい。むしろ恨みや辛みが出てきそう。
何かを成した時。
自身の取り組みから、まず起こるのは達成の感動。
苦労するほどに、感動もまた大きい。その感動が大きいと→感謝の気持ちも深く大きくなり→感謝する対象の範囲が拡大→心の安定・安寧。
これは嫌な事だったとしても、無事終えられた達成感はありそうです。
ここで一考。
心に余裕があるから感謝できるのか or 感謝できるから余裕が生まれるのか
余裕とは、ある程度満たされた状態になった際に持てるもの。それには何かを達成する、得る、と言う結果が必要じゃないかな。
余裕が無い時は感謝を忘れがちで、負のループな気がします。
趣味の渓流釣りは基本的に義務はないので、どんな成果を望むのも、そのペースも自分のものです。
さりとて、釣りに行くからには釣果が欲しい。どんな魚がどれだけ釣りたいか、それは個人差ありですけどね。
あまりにも厳しい、全然釣れないでは、余裕持って取り組めません。
例えば、朝のうちにポンポンと良型が獲れた、そんな日なら、この後は釣れなくても色々試そうかとか、自然の美しさを眺めて幸せに浸ったりも出来ますね。これが「魚を得ること(達成)」により持てる余裕、だろうと。
良い結果に感謝する→心が安定、余裕が生まれる→色々な事を試し、楽しさとの出会いが増える→好循環。
何の義務も無いはずの趣味で一所懸命に取り組むのは、望みの良い結果が出れば心が豊かになるから。つまりは幸せの構築の為に努力します。
また、達成の努力無くして大きな感動は無く、感謝も大きくならない。
以前どこだっかたで、「辛い努力は挫折の元。そんな時は努力の仕方を疑った方が良い。楽しんで継続できないと、良い結果に繋がらない。」と聞きました。なるほど、納得。
でも、何をどう変えたら良いのか、それが中々見えないのですけどね。
仕事などの場合はともかく、休日の楽しみ方の設定は自由度が高いです。
思い通りにならない事など日々ありますが、折角の趣味の時間からは、心の安寧を得たい。
渓流釣りで幾らかでも良い結果を見られたら、その喜びから生まれた感謝の気持ち、そして心の余裕が、日常の充実を作る役に立つように思います。