「努力する」と「頑張る」は、どちらも「良い結果を求めて、時間と労力を費やす」の意味。
違うのは、「頑張る」の方には、「耐える」が含まれていること。苦痛や苦難を乗り越える、とも言えますね。「努力する」は、目標達成を目指して物事に取り組む、の意。この場合は過程で自身に喜びがあって、辛いよりむしろ、楽しいとも感じられます。
結果を出す為の取り組みが、苦痛か快楽か、と言う話で、言葉の使われ方はあまり違わないですけどね。
こうした言葉の意味からも、趣味の世界で「頑張るのは嫌、不要」と考えるのは分かります。
ただ渓流釣りの場合は、楽しいはずの趣味なのに、環境設定がすでに、苦労・苦痛含みになっています。寒い、暑い、危険を伴う等々。また、対象魚の警戒心が強くて賢いので、そう簡単に釣れてくれない場面は多々。そこに耐え、乗り越す気構えは時として必要です。
簡単に結果が手に出来ないから、能力を上げる工夫に面白さがあり、苦労するほどに為した成果の喜びが大きい。
途方もなく高い目標設定だと、その大変さから苦しさが増えがち。しかし理想の高さには際限が無く、どんなデカい夢を見るのも自由。
「自分の”普通”をレベルアップさせると成長する」という言葉がありますが、これは確かに。「今の自分の標準を少しでも拡げる」ことで、いつか理想に近い自分になって行く、と。
「辛さが続くのは、挫折の元」とも言われます。
一所懸命取り組んでも、いつまでも結果が近付かないようでは、余程の確信か、強い憧憬や羨望が持てなければ、いつか心が折れるかも。
大成功に届くまでに、小さくても成功体験を積むことが大事ではないかな。その時の達成感の心地良さが次へ進む燃料になる。低い壁でも、その上に立てると、目標の高いハードルまでの距離が縮みます。
渓流釣りでは、苦労や苦痛があっても、一般的に耐えられない程のレベルものは、そう多くありません。
危険を察知し避ける事や、なるべく快適に過ごすこと等は、経験するうちに対応が出来るようになります。また、そうでなければ趣味として成り立たないですからね。
思うように釣れない渓流魚も、何尾か釣るところまでは、条件次第では然程に難しくはないです。ゆえに初心者でも、釣れた成功体験から、ハマれる。そしてそこからが底無しに深い。
渓流釣り以外の趣味にも言えることで、キッカケはともかく、深掘りの起点は好奇心です。興味の対象であることが、より深く知る、追い掛ける動機になりますのでね。
果たして、身を震わせる感動を知ったら。それは自身の経験が一番ですが、見聞からの憧憬や羨望は、努力の動機として十分です。
結果への過程には成長の喜びがあり、時間と労力を重ねるほどに、良い結果への喜びは大きくなる。努力をするのは、自身の豊かさを育てる事だと思っています。