渓流に釣りに行き、好釣・不釣と、色々な日があります。
上手く釣れた時でも、もっと打つ手が他にあったのではないか、と考え。釣れなかったのなら、何故、何が拙かったかと考え。
諸手を挙げての満足の成果は、そうそう出るものでもなく、しかし大きな感動が得られることがあるのも確か。
釣行に満足してもしなくても、毎回反省点は必ず出てくる気がします。
ある釣行にて。
この時は、自分的に新たな挑戦をしようと臨みました。
いつもと違う釣り仕掛けを組み、道具が違うゆえ、釣り方も変える。どうなるか分からないが、試してみようと。
結果、中々魚の反応を取れず。
ようやく掛けても、バラシてしまう。
頑張りましたが、この日はボウズ。完封負けでした。
この時の私の釣行記録には「挑戦は楽しかったが、悔しい。楽しさ6、悔しさ4くらい」と書きました。
楽しかったの中身は、魚の反応を出せた部分に対して。全く無反応だったら、悔しさ10だったかも。
私は他者と比べて云々でなく、自分自身に負けず嫌いです。
楽しかったのは確かですが、悔しかったのも確か。日を追うごとに、この悔しさが勝ってきまして。
反省点を整理して、再挑戦。
次の釣行では、4尾の魚が釣れ。最初の一尾目はもう、感動ものでした。
最初の挑戦の後、「楽しかったのなら、良いではないか」と考えるのは間違ってないと思います。それに、新たな挑戦でいきなり結果が出ないのは、それは仕方なしと納得する部分も。
でも、釣れた方が楽しいのも間違いないです。一回目の釣行後と、釣果のあった二回目の後では、喜びの大きさがまるで違いました。一回目に悔しい目を見たので、尚更挑戦が成功した喜びは大きかったです。
今までなかった釣りが手に入った、その手応えがあり。魚が釣れただけでなく、未知が既知に変わったことが嬉しかった。新たに自身の釣りが更新された気がします。
こうなると、次はこの釣法でもっと釣れるようになれるかとか、今までの自分の釣り方とミックス、アレンジが出来たら、より良い釣りが出来るだろうかとか、前進・向上への期待が高まります。
結果が「4尾も釣れた」のか、「4尾しか釣れなかった」のか?
ここはターゲットと釣法の難易度により、自身の評価は変わります。また、どの程度楽しめたか、それで満足なのか否かも。
思うに、向上の意欲があるほどに、釣り自体の反省点は多く見付かるわけですが、その前に、結果に対して意識的にどう評価するかは重要かもしれません。
楽しみ方は人により異なっていて、中には一尾釣れたら満足で納竿の人、釣れなくても過程ですでに満足の人、どこでOKを出すか。
私の場合は本件に関しては、一尾との出会いで感動した、そのことで一旦は満足しましたが、一回目の課題が全クリアされたとはとても思えず。しかも2回目となると、初回に気付かなかった疑問や課題が生まれて、またまた頭を悩ませる。
何処まで追っても次が必ず出てくる、つまり発展形があり続けます。自然相手の遊びはそこが楽しさでもあると思っています。