渓流釣りとは関係ない、あるところで聞いたアドバイス。
何かをやる際、
「どうすれば上手くいくか、考える習慣を付ける」
これ、当たり前の事のようですけど、強く同意します。ただ、「考えるより先に動く」説もありますので、事と次第、もしくは人によるかもですが。
私自身は自己評価で、頭が良いわけでも、手先が器用でもなく、大体、何を習得するにも時間が掛かります。
上述の件に同意なのは、何事もスムーズに回せる方側ではない自分にしっくり来るからです。
私が社会人になった時、同期入社の女性で、物凄い器用者が居ました。
理解が早く、覚えが良い。同期の誰よりも仕事を早く出来るようになっていたのですね。
さてこうなると、私はどうするか。
同じだけ勉強しても、全然追い付けない。ならばもっと勉強するしかないと。
今にして思い返しても、非常に良い刺激を貰える出会いでした。
彼女が居なかったら、私はそこまで学ぼうとしなかったかも知れない。感謝するばかりです。
これは一例ですが、他の何事でも大体似ていて。
習熟する期間を短縮したいなら、努力の量を増やす。しかし闇雲に取り組むと、結果の出ない方向に行って仕舞いかねないですから、やれば良いと言うものでもない。
私だと、幾つも同時進行するのは苦手。「これ」と決めたものに集中しないと、時間が足りなくなります。いや、決めたものでさえ、満足いくところまで中々持って行けないまま、年齢を重ねてるような。
冒頭に戻して、考える習慣をつける重要性。
器用・不器用を何をもって判断するかと言えば、習得の時間と手数、そして熟達のレベルだと思います。少ない経験で進める人、時間掛けても僅かしか進まない人、等。
器用な人は、習うより慣れろでも良いかもですが、そうでない人は勢いで進む前に、まず考えてみる、というのが、アドバイスの趣旨らしい。
もう一度書きますが、これには強く同意です。ただし、何事かを習得したいとの意欲があるなら、ですが。
意欲はあるが、適性は無い。適性はあるが、意欲は無い。色々な人が居ます。
強い意欲があっても、誰もが同じレベルまで行く訳でもないです。個性が違いますからね。
私は数あった選択肢の中から、趣味では山渓の遊び、その中心に渓流釣りを据えました。
向上の意欲はあると自己評価してますが、適性があるのかないのか、よく分からず。とりあえず、器用でない事は自分的には確か。先の仕事の話と似ていて、今以上のレベルを見るには、より一層の努力をすることしか思い付かないです。
望みのペースで進めたと感じたことは殆ど無く、しかしほんのたまに、確かな前進の手応えは得てきました。向上実感が乏しいようだと、モチベーションが切れるかもしれませんが、渓流釣りは私にはこの上なく面白いので、そこは大丈夫そう。
費やせるリソースには限りがありますから、効率は見て行きたい。まず事前に「どうするかを考える」のは大事だなと思います。