私は「渓流釣りが上手くなりたい」と常々考えています。
渓流魚を釣ることに頭を熱くし、馬鹿になれるほど追い掛けられるのは幸せな事です。
そうして長く釣りを続けてきた訳ですが、実力はどうかと自己評価してみると、これが中々思い描くレベルには遠いのが正直なところ。
つまり、自信がありません。全く自慢になりませんけど(笑)
楽しめるかどうかは、自信の有無とは全くイコールではない気がします。
私は通年で渓流釣りを楽しめてると感じてまして、これを自信があると呼ぶなら、そうかも。
とは言え、釣行に臨む際、自信が無いより有った方が良いのかなとは思いますけどね。
望む結果を出せないのは不満や不安の元で、マイナスイメージが大きい状態で釣りに行くのは、折角の趣味の時間にストレスになるかもです。
私の言う自信の無さは、自身の望むレベルに対して。
その不足感は、そう簡単に払拭できるものでは無さそうです。未知なものが無くならない世界では、既知が増えると次のレベルが見えてきて終わりませんからね。ではその事はネガティブなのかと考えると、違うのじゃないかな。
楽しめる部分も、必死な部分もある。望みが叶わない日が少なくない今は、そこを越えたい向上意欲が湧きます。
自信を持てるようになるには、どうすれば良いか。
これはまず実績でしょうね。
何年も釣っていると、何かを克服したような、今まで出来なかったことが出来たと感じる時があります。
最初は物凄く苦労した、しかし同じようなシチュエーションで焦らなくなった、等。
一回の好釣は偶然かもしれないですが、2回、3回と上手く行けば、いつか力が付いてくる。また、数や型など、目に見える数値の向上は分かり易いですね。
成功体験として最初はマグレ当たりも全然OK。その後、良い釣りが出来たと自分で思える釣行が重なれば、徐々に自信が付いてくる、はず。
実際の経験として、連続で釣行のたびに良い思いをすると、気持ち的には無敵モードになれます。
次の釣行先がどの河川で、どんな条件であっても「釣れない気がしない」。つまり、自信に満ちた状態です。
ところが逆もあるのが自然相手の釣り。
バラした、ダメだった、そんな釣りが続くと、「釣れる気がしない」なんて事態にもなり兼ねません。
これは「思考のパターン化」と呼ばれる現象なのだそうです。良い事が続くと、思考はポジティブに。それで体も冴えたコンディションになり、ゆえにさらに成功する。そして逆の場合はパフォーマンスが低下し、失敗し易くなる、と。
自信満々である必要性はともかく、あまりに自信の無い様は、心身共に委縮する傾向があるのは確からしい。
事に臨む際、それまでの思考を良くも悪くも引いていく、という話です。得意分野が伸び易く、苦手分野が克服し難い理由の一つかもしれません。
自信は思うような成果が続けて出せていれば、自ずと身に着くもの。自信の無さは、例えば特定の条件でまるで釣れなかったなどの経験から、同じか似た条件に当たりそうな時に委縮するのがよろしくない。
私の場合は、安定して自信を付けられるような好釣果ばかり出せません。
それでも、どんな条件でも何とかしようと取り組むのが楽しいので、これまた思考のパターン化の一つかと、それで良いかと思っています。