私の渓流釣りは、延べ竿のスタイルです。
源流~本流、何処へでも行きますが、好きなのは水と景色の美しい渓流域。
2023年1月現在、
渓流釣りと採集の考察を組み合わせること。これが今の最大テーマ。
アマゴ・イワナの、タイプごと、地域ごとの個体差に関心があり、更に季節進行との連動性を探しています。
追求するテーマは色々あって、今までもメインは数年ほどで変わってきました。
根幹は趣味をより拡充し楽しむこと。その為に、技術と知識を磨き前進したい、もっと上手くなりたい、と想っています。
私の渓流釣りは、釣りの対象は渓魚(アマゴ、イワナ)ですが、同時に山菜やキノコの採集もやります。
渓流釣り 対 採集で、意識的比率は7∶3くらい。
また時期によっては、比率が逆転して釣りが小さくなったりしてます。私的にはこれでも真剣ですが、釣り一筋の人からしたら、浮ついてるように見られるかも知れません(笑)。
条件で動きが違ってくる渓魚。その状態を予想するのに、河川周辺の自然観察はとても有効だと考えています。
植物類と菌類は、環境変化に敏感。私にとってこれらを知ることは、採集物の幅を増やすことでもあり、一番のターゲットである渓魚を追跡するヒントを得ることでもあります。
気温水温はその日その時に測れますが、その時までの季節の流れを見るには、周囲の自然の状態を知る意味は大きいです。
例えば、融雪後の春に気温上昇と共に芽吹く植物の育ちや開花の具合、夏のキノコが気温低下で姿を消し、秋のキノコに入れ替わる、その発生具合等々。
こうした視点は多くの渓流釣りの愛好者が大なり小なり持っておられて、「何々の花が見えたら、何処其処へ行こう」と言った具合に釣行されるものと思います。
観察項目を多く持つと、暦では判らない季節進行が幾らかでも見えます。その際に魚は何処にいて、どんな行動を取っているか。
私は採集の趣味があるので、収穫物とその周辺の自然を見続けてきましたが、まだ分からないことだらけ。それでも意識の向け方で、自分なりに解析できる事柄が出来てきたと感じています。
渓魚には地域により、性格に違いがあるように感じます。これは水流、水質、水温などの「水」や、そこに棲む昆虫類などの餌、植生や地質、様々な要因によるものと想像しています。
渓魚には下降・遡上する移動性の高い魚、居着きの移動性が低い魚、その中間型が居て、育つ場所が違い、その性質にも差異が出ます。この比率ははっきりとは分かりませんが、地域、環境でどのタイプが多いか・少ないかの傾向はあります。また同河川の同タイプでも、全てが同じ性格ではないです。
こうした個体差が追跡を難しくしていて、そこに対応する釣技が至らないと(つまり釣れないと)、考察が正しいのかが確認出来ません。
おそらくどこまで追い掛けても考察が完成することは無く、ゆえにずっと楽しく取り組めるものと想っています。
水の流れと地形が作り出す渓相(形状)は、魚の居場所に大きく関係していて、「ポイント」と呼ばれるのは、魚の居場所を指しています。
ポイントの水流に対し、どのように竿操作するのか、そうした技術的なことも奥が深い。
釣果へのアプローチは、仕掛けの使いこなしを含めた技術面と、場所の選択と、もう一つ、魚の動きの予測。
水量、濁度、天候、それに時間帯、虫や小魚の動き等、これらの観測と予測次第で、「ポイントの位置」が変わり、使う技術もまた変わり。私はこの予測の一部に、周辺の自然観察を加えているのです。
それにより、釣行する地域→河川→場所→ポイント、と絞っていきます。理想はピンポイントで読み切ること。
ここが当てられた時は、とても嬉しいです。実際には大外れすることは、多々ありますけど(笑)。
私は感動が欲しくて釣りをしています。
狙いは美しくて格好良い、野生の渓魚。必ずしもサイズ重視ではありませんが、大物釣果はやはり嬉しいです。
源流の純天然魚。地域の固有性の強い個体。大きな水域で育った良型。どれも魅力があり、その個性豊かな渓魚たちに私は惚れて、追い掛ける面白さを強く感じているのです。
釣り上げる際、膝が震えたり。無事取り込めて、大声で吠えたり。口角が上がりっぱなしで、笑いが止まらなくなったり。日常には無い興奮と喜びが、山渓の趣味の世界にはあります。
そうした出会いを叶える為に費やした時間と労力が増すほどに、成果が出た時の感動の大きさが比例して増していく。
出会いと、その過程と、両方が記憶に残り続ける、そんな釣行が理想です。