山渓遊びブログ 渓流釣りとアウトドア

岐阜県から 山渓アウトドアライフ

渓流釣りの受動と能動

渓流釣りは「待ち」より「攻め」の要素が強いです。積極性が強い、とも言えそう。

釣りは魚をハリに掛けるまでと、ハリに掛けてから捕るまでの面白さがあります。私的には程々の難易度があり、引き味の良さは、国産淡水魚では最高峰クラス(私の好みとの意味で)。

出会いのまでの過程と、出会えた魚の姿への感動、ここに周辺環境や、その他色々な要素が加わります。

そこには、

「釣った」⇔「釣れてくれた」

「楽しかった」⇔「楽しませて貰えた」

これらのように「自分が成した方」と、「環境や対象魚に与えて貰った方」があると思います。景色や魚を見る・触れる受動と、自らの意思からの行動が能動で加わり渓流釣りは成立している、と。

物事に求める受動と能動のバランス感覚は人により違いますし、細かくはその日ごと、一尾ごとにも変わるかもです。私的な感じ方では、事前予想をバチッと当てて魚が釣れたら、能動が強めに。思いがけない、想定外の良い出会いに恵まれれば、受動が強め。どちらが強く出ても、釣りが楽しめたとの感想は同じですけどね。

 

また、魚の姿や景色等の自然美は自身で作るものではないですが、行動した結果起こる出来事は、同じく想定外でもやや種類が別。「意外な場所で、試した釣り方で、こんな魚が出た」みたいな事です。

想定外に降ってきたものは、色々な意味で予想を裏切ります。そしてその経験から、次の想定を創っていく材料になる。

対象が何であっても、求める結果に対し、受動と能動のバランスを欠いていると、上手く行かない気がします。「鳴かぬなら鳴かせてみせよう」が合うものもあれば、「鳴くまで待とう」の方が良いものもある、と言う事ですね。

先に書いたように、私感では渓流釣りは「待ち(受動)」より「攻め(能動)」の要素が強い。ちょっと言葉悪いですが、「ボンヤリとイトを垂れてたら、そのうち釣れるだろう」みたいな釣りではないです。場所によっては、そんな釣り方もありますけども。

狙い通りに釣りを組み立てようと努力するのは、求める結果を成す可能性を上げる為。

受動は自分で制御が効かないですが、能動は自身の選択で制御が出来る。対応力が高まれば、過程を楽しむ余裕が生まれ、結果の喜びを増やせる期待が持てます。棚から牡丹餅が降ってくるのを待つ受動より、それを取りに自分で動く能動には、工夫する過程に学びがあり、労力を費やした分、結果の嬉しさが増す。

私を含めて渓流釣りの愛好者は、自身の攻め方で結果を出したい想いがあって、魚が捕れれば何でも良いと考える人ばかりではないです。

しかしその対象魚とフィールドは、自身で構築するものではありませんから、結果には「相手任せ」な部分が存在します。ゆえに「釣った」と「釣れてくれた」の両方が有り、その両面に感謝するのだと思っています。