山渓遊びブログ 渓流釣りと採集

岐阜県から 山渓アウトドアライフ

胸が高鳴る感覚

「遠足の前の小学生のような」とは上手い表現ですね。

ソワソワして、何度も荷物を確認し、夜になっても寝付けず、明日が楽しみで仕方がない。

このような状態を形容するのに、ドキドキ、ワクワクなど、繰り返し言葉が使われていて、これは日本語の妙味な気がします。

 

楽しみで仕方がない、その明るい気持ちは、人を幸せにします。

私だと、渓流釣りに好条件と見立てた日の前日などはもう、気持ちの浮付きように困るくらい(笑)。

 

ドキドキ感の元になるのは、「楽しみへの期待」が大部分で、一部は何が起きるか分からない不安。不確定要素があるところに、実は大きな楽しみが宿ります。

つまり、未知なもの、未体験との遭遇。知らないことが知りたい、人間の根源的欲求ですね。

子供が何にでも興味を示すのは、新たな情報を取り込みたい本能のようなもの。未知への不安よりも、それを知り、取り込む方を「楽しみ」と感じ、学習から成長します。

 

大人になると、こうした感覚が薄れるか、失われるか、子供のままで居られる人は少なくなります。

生活の中で日々こなす事の中から、未知な部分が少なくなりますし、経験から不安要素を避けますから、当然です。必要事項を選ぶために、子供のころから未知なものを学習し、成長した結果ですのでね。

それで困るわけではないですが、変化のない日常は退屈ですから、それは実はストレス源にもなってしまう。何となくツマラナイ、というやつです。

そこで様々な体験を経て選ぶ趣味は、日常の隙間を埋めるばかりでなく、日々を充実させる活力源。日常に新たな情報(刺激)が少なくなっても、未体験への挑戦を自身で作り出せます。

 

衣食住の生活の最低ラインが出来た時、次に人間が求めるのは娯楽。

古代文明からずっと、生活インフラの整備とともに、同時に発展するのは「文化」です。

生活するだけなら、建築物にデコレーションは要らないし、身体を維持するだけなら競技スポーツも必要ないはず。ですが文化的要素は必ず進歩していき、それが実生活に強く影響してきました。

 

車やバイクが優秀になり、移動手段が便利化しても、100m走の選手の記録の意味は無くなりません。

私は趣味で渓流釣りと採集をやっていて、食材が欲しいだけならスーパーに行けば良いのですが、それとこれとは意味が違います。そもそもキャッチ&リリースの概念は、食材採取とは話が別ですしね。

 

知らないものを知り、出来なかったことが出来るようになる、これらを幸せと人は感じていて、このことへの期待が胸の高鳴りを呼びます。

既知な事実でも、体験や伝聞からの知識で、良い期待が出来る物事には同様の感覚がありますが、興奮や緊張が最も強いのは初回。何度も経験するうちに、ドキドキする感覚は薄れがちです。

 

同じことの繰り返しでない、変化や進化がある期待には、未知を開拓する楽しみが尽きません。

深くハマる趣味がある事で、この感覚を大人になっても持てるのは、本当に幸せな事だと思っています。