渓流釣りでは偶に、非常に好条件の日に当たります。
普段は何処に居るの?と言う魚が、しかも続けて出てくれたりして。こんな日は釣りがとても楽しいです。
しかしそれは滅多になく、大抵は自然が相手の遊びは、思い通りに事が進みません。
反応が少なく、しかも辛い。
掛かりが浅く、バラシばかり。
絶好の場所で、全くアタリ無し。
等々、「何故??」と頭を捻る場面は山ほどあります。
悪条件を列記すると、季節的には厳寒・猛暑、水況では低水温・高水温・ド渇水・大増水などが代表的。
急な冷え込み・嫌な濁り・アカ腐れ等に、雷雨・強風・雹、河川工事にダム放水、更には釣り人のプレッシャー。
これらが幾つも重なると、釣れない理由がテンコ盛りです。
釣れない時に状況を正しく理解することは大事で、そしてそこからが更に大事な分かれ道。
「〇〇だから、釣れなくても仕方無い」or、
「〇〇だから、どうしたら釣れるのか」
言い換えれば、状況が悪いのか、自身の力不足なのか。
前者だと話は終わり。
考えることを止めず、それを行動に移せば、話は進みます。
勿論、本当にどうしようもない事象はあります。ただしそれで納得しても、釣れる魚は一つも増えません。
「仕方無い」は思考停止の呪文だと私は思ってます。意味として、自分のやり方でなく条件が悪い、と免罪符?を付けられますからね。
この呪文は、冒頭のような「上手く行った経験」が理由になる場合があります。
良い結果を出せた体験が、自身の釣り方が間違いでないとの想いを生むことは少なくない。それは思い込みかも知れなくて、現実はその日その時釣れないと言う事実。
成功体験は、次へ歩を進める原動力にも、固定観念で行動を縛る足枷にもなり得るものです。
たまたまの好釣果は、マグレと言います。偶然でなく技術力である証明は、再現性と、その頻度。好釣したとして、その時で終わりなのか、その後何度も同じように釣れるのか。実力は再現率で測られます。
釣れなくて面白くない状況から脱するには、釣果を出す以外に方法がありません。
思い付く限り、打てるだけ手を打って、それでもダメなら。
それで満足は出来ないので、結果の出なかった悔しさは次回以降に持ち越して、いつか喜べる結果に繋ぐまで取り組み続けるのみ。
私が気を付けたいなと思うのは、思考パターンがクセになってしまう事です。
性格とも絡むのでしょうが、「鳴かぬなら、ホトトギスをどうするか」は、その相手が犬でも虫でも変わらないと思います。
結果が出ない時、思考停止するのがクセになると、釣りに限らず他でも同様のことが起こるかもしれない。
上手くない事象を見て、「仕方無い」を結論とせず、通過点とすれば。
良い結果を出せてもそこで止まらず、再現し、さらなる結果を見る努力を続ければ。
こうした事を継続している・していないの違いは、年数が重なるほどに大きくなり、実力に現れるものと思います。
反省を込めて書いてみました。