数値を求めることは大事で、しかしそこにはバランスの取り方が要る、と私は考えています。
「成果」と「成長」の違い、の話題です。
他所で聞きました。
ゴルフが趣味の人が、スコアを伸ばす事に楽しみを感じていたそうです。
ところがある頃から数字が伸び止まって、それでも練習を重ねたが、自身の伸びが無いことがストレスに感じるようになった、と。
この方は今は、スコアを追うことより、プレー自体を楽しもうと考えなおし、今もゴルフは続けているとのこと。ただ、熱量は以前ほどではないとも言ってみえました。
私も似たような経験を持っています。釣りでも仕事でも、個人的成果で数字を伸ばし続けるのは、物理的に無理が来ますからね。
始めたばかりの頃は、年々見える数値が向上するので、それ自体が楽しい。好きな事で成果が見えると、それが嬉しく、努力が苦痛でなく快楽になります。
しかし同じペースが続くことは無くて、伸びしろが少なくなっていき、数字を上げること「だけ」がモチベーションだと、いつか切れてしまう。
釣りで言えば、最初は10尾釣るのに必死だった、数年後は30尾は一日でイケるようになった、では100尾、1000尾と取れるかと言うと、どこかで頭打ちします。単位が大きくなるほどに、そこから釣果を上乗せするのが難しくなる。
最初は0から始まるので、数値を伸ばし易いです。この時は「最高記録、○○尾!」など、それを目指して楽しむことも良しでしょうね。
また、他者比較で自分より沢山釣る人が居ると、良いモチベーションになり得ます。が、残念ながら、誰もが同じレベルまで行けるわけではない。これも追い切れず、折れる元になったりです。
感覚判定で良し悪しを決めるばかりでは、自身の能力向上が客観的に測れないので、公正に評価するには、数値は大事。
先にバランスと書きましたが、意識の配分で、数値化できるもの、そうでないものがあります。成長による楽しさや喜び等は数値では表せません。
ここには他者評価と自己評価があって、基本的に他者が見るのは成果の方です。
数値が上がらないとき、面白くないから、取り組みを止める(他者の評価も付いてきませんし)。これは一つ正解ですけど、伸びない自分への欲求不満が解消されないので、スッキリしない。
趣味においては、他者評価よりも自身の満足が先で良い。
「昨日より今日の自分」、知らなかったことが分かり、出来なかったことが出来る、成長の感覚は必ずしも数値と同じに並ばないものです。
真剣に向き合っている事柄から得られる向上の実感は、大袈裟でなく人生を豊かにするもの、と言えると思います。
喜びあり、感動あり、懸命さが報われるのは、本当に心が温かくなる。
費やした熱量と時間が、成果の喜びの大きさを決めるのは何事も同じで、苦労(苦痛)が幾らかある方がそれが大きくなるのは確かです。
努力が苦痛になる時、それは取り組みを疑うタイミングかも知れません。数値を追っていて、自身の限界を感じ始めると、そうなることもあるでしょう。
私は渓流釣りでは、数値化できる記録も見つつ、自身の知見や技術の向上が結果に繋がるのが、ことほか嬉しいと思っています。