「一生懸命だと知恵が出る、中途半端だと愚痴が出る、いい加減だと言い訳が出る」武田信玄
有名な言葉ですね。肝に銘じたいものです。
もう一つ、気を付けたいのは「負け惜しみ」。
どうすると出る? 中途半端でもいい加減でも、かな。
私は以前のブログで、タイトルに「釣りの愚痴」と付けた釣行記事を書きました。
夏の渇水が長く続いて、何でこうも雨が降らないのか、と。←愚痴
私的に渇水が好きでないのと、程度問題で、あまりに水量が少ないのは、どうにも釣り難くて。私が過去に見た中で、一番の渇水続きでしたからね。←言い訳
武田信玄の言葉によると、私が中途半端な、つまり未熟者なわけで、確かにその通りでございます。
それでも諦めず釣りを通せたこと、渇水が続いた中から学べた釣りがあったことは収穫でした。←負け惜しみ
最後の一文は、どうにか知恵が生まれそうな段階なのかな?とも思えるような思えないような。
「愚痴・言い訳・負け惜しみ」
これらが出る意識の中には「自分は悪くない」との共通点があります。そしてこの事に無自覚でこれらを口にする、もしくは考える場合がある。
本人は言い訳のつもりが無くても、文意はそうなってる、等です。
わざと言うのであれば、笑い話にも出来ますけどね。ある種の自虐ネタとして、面白いかもです。
以前、ある釣りの名手が釣れなかった時に「ここには魚が居ないに違いない」と言った時は、私も吹きました。
ただ、これらにも種類があって、対象が自分で変えられるもの・変えられないものにもよるかと。多くの場合は変えられますが。
「好きな河川が水害で荒れて、釣りが出来ない」と言った大事から、「河原にゴミが落ちていて不快」みたいな事まで。こうした事柄では、確かに自分は悪くない。
そうでなく、多くの愚痴や言い訳は、自身を正当化して思考停止する呪文になり得ます。
私が渇水に愚痴を言うのは、その状況を楽しむ事が出来ない自分側の問題が実は大きい。つまり力不足という事。ここらは認めてしまった方がスッキリしますが、負の感情は出ます。
思う結果が見えない悔しさ、苛立ち。これらが湧くのは、条件がどうでも、一所懸命に取り組んでいるから。
真剣でなければ、あまり悔しくはないですからね。
積み重ねがまだ足りない、のだろう。いつか状況を打破する知恵が出てくると信じたい。
それでも打つ手が見えない時、たまには愚痴を吐くのも愛嬌かも知れん、などと。
全条件で望む釣りが出来るようになりたい。
さして難しく考えなくても、そこそこの釣果に恵まれる日もあれば。
厳しい状況は幾らでもあって、苦戦を強いられる釣行では、良い日とのギャップを感じてしまい、メンタルにきます。
「状況分析」と「愚痴や言い訳」の境界は、釣りがそこから進むか、止まるかです。
先の愚痴を吐いた時、後になって良かったと振り返ったのは、過去に見たことのない状況でも心は折れなかったことと、あれほど厳しい状況で通せたなら、今後は余程の悪条件でも何とかなるだろうと思えたこと。
ここから知恵を出せるか、そして結果に繋げられるか、それは自分の取り組み如何な訳で。
武田信玄の言葉を借り、渓流釣りを一所懸命やり続けるしかないな、と思う次第です。