私は渓流釣りをやっていて、これまでに幾度となく、驚異的な釣果を見聞きしました。
中々直接聞けないのですが、「何処で、どうやって?」が知りたいのは、多くの釣り人が同じかと。とは言え、好釣果を上げた人が、お教えくださるならともかく・・です。
これと似たことは色々なところに見られて、キノコの世界にも色濃くそれが有る。釣り以上にキノコは秘匿性が高く、「生え場(シロ)は親子でも秘密」と言われるほど。
何故あの人は、いつも良いキノコを見付けられるのだろう、と、他者様を不思議に思う事は私は結構あります。
名人と自分が同じ日に同じ場所に立ったとして、結果まで同じかと言えば、それはノーでしょう。キノコへの知識量と、歩くルートの判断力が違いますからね。
まして入る山が違えば更にですが、それを選ぶのは実力のうち。
昨年の秋にも入った山。
車から少し歩き、山中に進むとすぐに、ムキタケの群生がありました。
するとその脇からの山肌に、朽ちた秋キノコがドカンと。目を疑う光景でした。
え!?こんな場所に? 私的には「事件レベル」の驚き。10日から2週間前なら、高笑いする場面です。
昨年はその場所の手前で引き返していました。藪が煩くて、越すのが億劫でしたし、その場所までで、そこそこ多種のキノコに出会えていたしで。
「なるほど」と思いました。
前に来た際にも、その場所は遠目に見ていたのです。しかし、足を向けてなかった。
今回、そこを歩いたのは、たまたまです。向こう側の奥はどうなってるのかな?くらいの。
その場所が「良い」と、私には見えてない。
山中で360°を見渡しながら歩くのですが、闇雲に見回るのでなく、樹種、地形、日照等々、様々な観察項から進路を選びます。
しかし果たして自分は、キノコの発生に出会える方角に進んでいるのか。出会えるとしても、効率は如何ばかりか。ここは正直、迷うし、自信ないし、です。
今回の山の斜面を遠くから見て、「行く」と決められない私の選択眼の弱さを知ったような、目から鱗な、物凄く良い勉強が出来た気がしました。さっきまで歩いていた山の、一筋違いでしたから。
そもそも、キノコが朽ちたタイミングでそこに居る時点で、判断間違いなわけで。
まだ幾重にも甘いなぁ、自分。判断に必要な知識と経験が不足してる。晩秋キノコが出ていたのは良かったですが。
名人と自分の違いの一つは、こうした部分ではないかな。
さてこうなると、俄然面白い。我が見立ての拙さが見えたからには、今後はどうしてやろうか。
もっと早く気付いてたら良かったですが、時すでに晩秋、秋キノコの盛期は終わりかけです。
それに気付きを得たのは本当ですけど、では何を改めるべきなのかが判然としません。
今まででも、それなりに楽しめている、しかしその上に行くには?
今の自分に「見立てが違うらしい」としか分からず、です。とりあえず当面、自身の判断を疑いつつ山を歩いて、検証を繰り返すしか思い付かない。
渓流釣りとキノコ探しは、私的にはターゲットに出会うまでの意識的な過程がよく似ています。釣り名人と自分との差を考えると、まさに今回のような事が起きてるのではないかと。
今回の学びが、意識面だけでなく、判断力の向上に繋がるよう、楽しい山歩きを続けたいと思っています。