山渓遊びが良いのは、結果がハッキリ確定しないところかなと。釣りに行っても、どんなサイズがどれだけ釣れるなど、事前には分かりません。
良い方良くない方、色んな想像をします。多くは妄想の類ですが(笑)。
行動のモチベーションは様々で、その一つは「知的好奇心(知識欲)」ですね。好きなものをより知りたい欲求。好みの結果を近付け、そうでない結果を遠ざけるのに、相手の魚と自然を知ることは大事です。
魚を想像する時に、ポイントや釣り方も考えます。想像から創造すると言うか。
それで実際に釣り場に出て、やってみると、思いの結果には中々ならず。それでまた想像し、創造し、この繰り返しで、狙いの魚との距離を詰めていく。
この過程で、手に入るものが在ります。それは実践知識と技術。
研究者の文献などで仕入れられる知識もありますが、「肌感覚」の学びは、自然のフィールドで実践しないといけません。川の流れとその中に棲む生き物の動きは、人の計算通りにはなってないです。
釣り人として魚の事を知るには、多くの魚を見るしかなく、その為には沢山釣った方が有利。
どんな操作で魚が釣れたか、一つづつ検証していくと、釣りを通して魚の事が理解できていきます。
自分なりの答えが見付かって、つまり狙いの魚が釣れることで、知識欲が満たされ、それが次の知識の欲求の源になる。
少ない数で空想しても、その通りであることは稀か、まずないのが自然のものたち。おそらくですが、どれだけ経験を積んでも、全ての自然を知ることは不可能です。故にいつまでも、何処までも追い掛けられる。
あまり釣れない魚種や、生息数が少ない河川、悪条件等々、釣果を求めるなら、避けたいこともあります。
しかし、その不利さに挑戦することは意味がある。希少な相手に近付くためには、それこそ色々なことを考えますのでね。
思うように釣れない時、何故なのかを探りますが、それが本当に考えた原因の通りだったかは、実は分かりません。ここではまだ「想像の域」を出ないですから、これを知識に変えるには、魚を釣るしかない。
釣れない時、状況分析と言い訳の境界線は微妙で、釣りは結果を見ることで検証が出来ます。
釣りからの学びは大きくは2方向。
対象魚を含めた自然の知識面からと、釣り道具の選択と使いこなしを含めた技術面からです。
これらは両輪で、どちらかだけでは釣りが成立しません。
組み合わせ方は無限大、それを創造するのは、想像力なのですね。