大怪我をしたスポーツ選手が、絶望的と思われたが、その回復し猛特訓を経て、復帰後に素晴らしい成果を残した。
勇気とか元気が貰える話は、各所にあります。
私は「不屈」と言うワードが好きで、こうした話は何処から何度聞いても感動し、そんな動画を再生して、泣いたりしてます(笑)。
また、「妥協しない姿勢」も不屈と合わせて好き。意味が重複しますけどね。
私の悩み事など、小さなものだな、って思うだけでも気が楽になります。
この場合、大怪我した選手が、
心折れなかったor諦めた(頑張ってみたが、も含め)
かなりザックリと、分かれ道があると思うのです。
身近な日常の中でも、起きた出来事の後どうしたかで、その後が変わるのは確かだろうと。
ここは山渓遊びのブログですから、以下そちらの話を。
渓流釣りで、後に違いが現れるであろう選択として思い付くのは。
・続ける
・止める
良く釣れたから、これで止め⇔良く釣れるから、もっと釣る
釣れないから、諦める⇔何とか釣ろうと、粘る
・同じこと
・違うこと
良く釣れるから、このまま通す⇔こんな時は違った釣りを試す
釣れないが、そのうち釣れるかも⇔何か違う釣り方は無いか探す
・好きなこと
・結果の出ること
場所、道具、釣り方は、好きなものが良い⇔釣れる釣り方を探してどんどん変更(←好きな釣りと、釣れる釣りは違う)
・・まだまだありそうですが、例示はこのへんで。お断りしますが、どれを選ぶのが良い悪いと言う話ではないです。
調子よく釣れてるなら、その時は難しく考える必要はないかも。
しかし好不釣に関わらず、出会った出来事から「何を考え」「どう行動するか」は、何年も積み重ねると大きな違いになると思うのです。
冒頭に戻します。
「もう駄目、無理」な状況で、そこから立ち上がるのは大変です。
怪我したスポーツ選手と同列ではないですが、私は自律神経を病み、「終わるかと思った」経験を持っています。仕事も趣味も、今まで積み重ねたものが、もう続けられない、と考えるのは、不安を超して恐怖でした。
私の場合、病気を拾って良かったとは語弊がありますが、「免疫」を獲得した感はあります。あんだけキツい状況に耐えられたら、今後は少々のことがあっても大丈夫でないか、みたいな。
軽度で済んだので言ってられるかもですけどね。
そんな重い話でもなくて、日常の気にしないような出来事の中でも、分かれ道だらけです。
本当にどうしようもない事柄は別としまして。
せめて自身で楽しむために選んだ趣味では、状況が悪くても腐らずに、前向きに進んでいきたいなと思っています。